縄文Message12/ 朝日を拝せよ

 

朝日を拝せよ

まだ何もしていない

これで良いわけでは無い

まだできる事がある

 

空を見ろ、地を見ろ、隅々まで人がいる。

 

これで良いのか?

人は土地との共鳴により、住処を決める

今の配置は共鳴と呼べるのか?

共鳴ではなく<縛り>制限が強すぎて閉鎖的

 

これでは人は自分自身の深淵につながれない。

表層的な浅い部分で刺激に反応しているだけ

深い真理、深い安心感、世界との一体感の中で生きる、恍惚とした至福にはたどり着けない

 

人の二元性の意識ではたどり着けない深い一体感を経験できるレベルがある

そこまで降りて行かないと滅ぶ

感性を上げろ

 

上げる方法は既にいろいろと伝えてある

知識として知っているだけで終わるのか、やってみて智慧に還元するのか人は選ぶ事が出来る。

 

これから日々は何を選ぶかで決まって来る、何を自分に与えるのか、他者に何を与えるのか

それで組み分けられていく

 

天国と地獄も紙一重で同時に存在し、それはあなたの胸の中にある

 

朝日を拝せよ

鏡を照らせ

疑うな、全ては経験の中に答えがある

水を拝せよ、火を拝せよ

 

渦巻の様に竜巻のように次元が繰り上がっていく

火と水で次元の通路が開く、鏡で閉ざせ

 

春分と秋分、年に二回

次元のエレベーターが開く、高次元と低次元がつながる、行き来が可能

 

円の魔法陣

その周りを締めなわで囲め、 降りてきたものをとどめる結界

姿を与えよ、依り代

 

ワームホールから来た宇宙船→日本<青森県・人類が始まる>→シュメール→日本、逆輸入的な

日本の投影が世界

 

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」