MEssage05 / シャンバラ、弥生人が来た時と同じことが起きる

もう手遅れ

遅い・・手遅れ、ギリギリ、DNAを目覚めさせるには。

個性とか個人とはもう良い。

その分野は充分に学んだから、これ以上やると歪みがさらに進む

 

違いではなくて、共通項に気づくように、物事をフラクタルに見る

他人を見て、自分を知る。

他人を見て違いを知るのではなくて、自分の何が投影されているのかを知る。

 

戦いの無い世界への回帰

食べ物を変える

流通の流れを変える、地産地消

 

このままだと弥生人が来た時と同じことが起きる。

戦うと同じになる、波動が落ちる。

戦わなかったら、やられる。

 

地下へ逃げる シャンバラ。

意識、波動をぐっと上にあげてしまえば見えなくなる

そのためには、過去は忘れてしまいなさい。

 

<足りないという意識、やられるという意識>

全部捨てなさい。

それを持っていると追尾される、同じ波動は共鳴するから。

 

個人が生き残るのではなく、全体が生き残ることを意識する。

日本人と言う波動、日本人の集合意識、これが残ればまた再生される

 

波動を上げた者だけが、たどり着ける日本がある

高天原

有事の時にはそこへ行けば良い。

人数ではなく、エッセンス、エネルギー、波動が残れば良い。

 

コミュニティは有機的なものになる

その時のそのシチュエーションによって、誰がリーダーシップを取っても良い

一番適したものが、自然と選ばれる

 

私たちが波動を上げるために出来る事は訓練、

意識の訓練

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」