利尻・礼文/雲丹100g食べて、足首が痛くなりました。

なんの感のと揉めながらも、利尻&礼文島へ行ってきました。

しかし、その旅は・・それはへヴィな美食の旅でした。

 

北海道は、特に札幌を離れると野菜の摂取が難しくなります。

タンパク質過剰になるのは、他の観光地も同じですけど、北海道は広いからコンビニとか近くある確率は低い。

なので、ブッフェ形式のホテルを選ぶと吉ですよ。

懐石風になってると、次々にタンパク質が出て来るのみで、消化するための酵素を含む食品が品薄。

 

北の旅:一日目 利尻島

宿に着くと夕食は雲丹と刺身のお出迎え、翌朝も焼き魚に始まり、一日の始まりも豪華。

2日目 礼文島へ移動

宿は変われど、食事の豪華さは変わらない。

刺身、焼き物、天ぷら、グラタン、ローストビーフ、だけどテーブルに野菜は見えない。

 

3日目 礼文島で目覚める

朝食に微かにgreenが見える、煮物が見える。

ここで、さすがにやばいかな?と思って持参したミカンを食べる。

 

そして、ランチタイム、居酒屋風のお店の看板に〈雲丹丼〉の文字。

雲丹丼6000円・・脚下!無理~~。

お昼に出せる額じゃない

入ったカフェのメニューにプチ雲丹丼2000円・・これはあり!

 

カフェ飯だったけど、食べてみると美味しい♥️

ここはどこで食べても雲丹は美味しいんだ、と理解しました。

それなら・・と、先ほどの居酒屋へGO!(笑)

 

雲丹丼6000円の暖簾をくぐりました~。

たっぷり雲丹100g・・・美味💖

 

3日目 夜のご飯

もう海の幸は食べたくありませぬ。

コンビニで納豆買って、たべました。

 

旅四日目 朝ごはんはホテルビュッフェ、極力野菜をお腹に入れる。

でも、お腹には雲丹、合計120gが入ってる。

この時点で爆弾抱え、てしまったんですねぇ。

 

何気なく走り回った宗谷丘陵。

だって循環バスに乗れないと空港へ行けない!

すったもんだしているうちに、いつの間にかやってしまったんですねえ。

右足首

気のせいか?痛い。

やばくね?

だんだん痛くなる・・・💦

足を引き釣りながら飛行機へ乗り込みました。

整骨院の先生の緩い笑顔が見えるようでした。

飛び立つ飛行機の窓からは青い空に利尻富士。

美しく輝いていました。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」