心を扱う時、自分で出来るもん!は危ないんじゃない?

『自分で(一人で)出来るもん』

元気に頑張る子どもの姿がイメージできて、良いかんじ。

ですよね~。

でも心を扱う場合、ちょっと恐いかも?

エゴが言ってるんじゃないですか?

「自分で出来るもん」って。

もちろんケースバイケースは、あるでしょう。

でも、

  • 自立したい
  • 依存状態から抜け出したい
  • 自己実現したい

などの場合

一人で出来るもん、は本当に出来るのでしょうか?

念のために一言付け加えますが

「依存しなさい、支配されなさい。」

と言っているわけではありません

私が言いたいのは
「メンターを探した方が良いんじゃないですか?」

と言う事です。

自分で出来る、(一人で出来るの)と言っているその心が機能不全を起こしていたら

自分で出来るは、無理でしょう?

例えば、

  • 過去に捕らわれている
  • 強いこだわりがある
  • 見たくないものがある

等の場合、いくら自力で頑張っても泥沼でもがくような事になるのではないでしょうか?

心がなだらかでない場合、どんなに努力しようとも最善の答えにたどり着くのは難しいでしょう。

だから、一人、自力に拘るのはほどほどが良いと思います。

力添えをしてくれる導き手<メンター>を探しましょう。

出来れば同じような、心の状態を経験し、それを越えて行った人が良いですよね。

初めて山に登る時、慣れた人に先導してもらうのが良いのと同じで

心のケアも、ちょっと前を行く人に先導されて行くと歩きやすいですよ。

特に今はアセンション後の世界です。

三次元的な生き方を捨て

高次元らしい<新しい世界の歩き方>を身に付けるのが先決な時です。

物質唯一主義の世界観から量子的な世界観への転換が必要です。

3次元しか知らない私たちは果たして

「自分で(一人で)出来るもん」

と言えるのでしょうか?

頑迷であるうちにドンドン適応のための時間は満了していきます。

『自分で出来るもん』

その姿勢が、また二極化を進めるのかもしれませんしね。

勿体ない、事です。

一人で出来るよりも大切な事もあります。

成長する事です。

成長すれば、一人でそうなろうが誰かの手を借りようがどちらでも良いのです。

一番合理的で無いのが、

一人で出来るもんと、グルグルしている事です。

そう思いませんか?

10年頑張っても、100年考え込んでもグルグルはグルグルです

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」