誰かと生きるからこそ、成長もありブレイクスルーもあり

例えば、気持ちの良い昼下がり、

どこかのカウンセリングルームで誰かが疲れたような顔で

「みんなに嫌われているような気がするのです」

 

とカウンセラーに訴えていたとします。

カウンセラーはこんな風に言うかもしれません。

「それは、あなたの思い込みですよ。」

「あなたがそう思っているから、そう聞こえるのではないですか?」

「いわゆるあなたの意識の投影です」

クライアントは首を傾げます。

「そうなのですか・・」

カウンセラーは意識の仕組みを一通り解説します。

クライアントはなるほどと大きくうなずき、カウンセリングルームを出て行きます。

 

が、数か月後に再び

クライアントはこう言います

「やっぱり嫌われていると思います、だって○○さんと会った時に・・

「どんな人とだったら気持ちよく過ごせるのかしら」

「私はダメな人間です・・・」

 

カウンセラーは前回と同じことを伝えます。

「あなたがそう言うイメージを現実に与えているからでしょう。」

「だって、彼らは陰湿な視線は冷たいのです。彼らは素っ気ない態度で・・・」

クライアントは空間の一点を見つめて、必死に話します。

カウンセラーはクライアントが何かのヴィジョンを見ている事は解りますが、現実とは違うと言う事を言葉で伝える限界を感じていました。

なぜ話なのでしょう?

カウンセラーは嘘はついていないでしょう。

クライアントも切実に訴えています。

 

違うのは、カウンセラーは離れた安全なところから全体が見えて話していると言う事

クライアントはその渦中にハマって訴えていると言う事。

クライアントにとってその経験は真実なのです。

 

その経験が真実だと思い込んでいる人に、その経験は幻ですよ。

と話しかけても中々信じてもらえないでしょう。

 

幻と分かって話しているのと、現実だと思って話しているのでは似て非なるものです。

危機や葛藤を真実だと捉えている人に、

「それは幻ですよ。」

と伝えるのと、そこから抜け出るのは別物の話です。

 

だって、クライアントは問題は彼らにある、と思っていますから

彼らさえ変われば、安寧が訪れる、と思っていて、クライアントが探しているのは彼らを変える方法。

自分の考え方、ものの捉え方、生きる前提に問題があるとは気づいていません。

諭されるだけでは、理解できる事もあるし、足りない時もあります。

どのくらいの深みにはまっているか、で変わるかもしれませんね。

クライアント自身が自分の意識の状態に気づく必要があります。

これは、難易度の高い事です。

タイミングを計る必要もあるでしょう。

 

【幻にハマっていた。】

と言う事に気づく

【自分の思考の外側にも世界が広がっていると気づく】

誰かの話を聞いたから解ったと言う事ではなく、自分で気づかないと、どうにもならない事でしょう。

本当の自分の意識に気づいた時に初めてブレイクスルーが起こります。

では、カウンセラーの言葉が無駄だったのでしょうか?

そんな事も無いでしょう。

その時は気づきに至らなかったかもしれませんが

そこに至るための準備を彼の言葉はしてくれていると思います。

他者がしてくれるのは準備まで、

本番は自分だけが出来る事。

 

本当の進化も成長も他者から与えられるものでは無いのでしょう。

実践は自分、他者からは切っ掛けを貰う。

これも大切な事です。

 

気づくの私だけれど、私一人では気づく事さえもおぼつかない。

誰かがいて、こその私。

揉め事は厄介ですが、大切な事なのかもしれませんね。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」