網膜前膜、手術から半年が過ぎて

初夏の訪れと思っていると、もう梅雨入りの心配ですね。

台風も気になりますし、ほどほどの天候で暮らしたいです。

 

さて、去年の今頃、左目に網膜前膜の症状があると分かり、秋に手術をしました。

そうしたら、手術の日は<皆既月食>。

これもご縁でしょうか( ´∀` )

 

手術から半年の間は月一で診察を受け、半年たった時に大学病院の先生が

「もう大丈夫でしょうから、これからは民間の病院で見てもらってください」

と言って、紹介状を書いてくれました。

それで、最初に前膜を発見してくれた開業医を再訪。

振出しへ戻れ、的な成り行きです。

 

そしたら・・・ですよ。

手術から、半年たって初めて聞かれました。

「どんな風に見えますか」

大学病院の医者にも聞かれた事が無いので、びっくりしてすぐに言葉が出ませんでした。

 

この時に初めて知りましたが、網膜前膜の症状として視覚に歪みが生じるようなのです。

それ、歪み具合を聞いているらしいのです。

やっと意味を察して

「手術の直後は少し縦長に見えました」

と言いましたが・・

 

術前の説明でも、そんな事は一言も耳にしなかった。

手術から半年たつまで網膜前膜は歪んで見えるようになると、私に伝えたい人がいません。

ネットでさえもです。

術後半年で知らされるこの衝撃の事実!!!

 

もっとも術前にそう言われて、実際に左の目だけで見て、歪みを確認していたら相当なショックだったと思いますが。

誰も、そこに触れなかったのは温情でしょうか?

知らないから、術後に片眼で見て、人の顔が縦長に見えた時はビックリしました。

手術のせいだ!と思いました。

手術は失敗したんだ。

営利目的の医療の犠牲になった!

取り返しのつかない事をした、と焦燥感に苛まれましたね。

一言、網膜前膜では、こんな風に見えるんですよ。

って、誰か言ってくれれば良かったのに。

私のストレスもかなり軽減されたのでは?

半年たった今では、歪みはほとんどありません。

でも、もう少し視力が出ると良いのに、とは言われますね。

でも、両眼で見ている分には違和感は無いです。

それでも、日常生活に差しさわりは無く、普通に見えます。

半年前の私の衝撃。

今じゃあ、笑って言えるけど・・・

けっこう山あり谷ありの半年だったのですよ。

 

でも、今日は術後半年のご報告と言う事でこのくらいに。

また違う機会にお話を聞いて下さいね。

 

 

 

 

YouTube <KACOのアルクチャンネル>

網膜前膜 半年経って初めて聞かれた事

2 件のコメント

  • 昨年末に術後の経過を教えて頂いたポルテポルテです。その節は、ありがとうございました。
    私も先週と今週2回に分けて両眼の手術終えました。
    私にとっては、白内障だけの最初の手術の方が何しろ怖くて、ガチガチになってしまいました。
    問題の黄斑前膜があった2回目は、怖がりの私に呆れたか…先生が球後麻酔+笑気麻酔をしてくれました。
    本日、眼帯が取れ、まだ腫れはあるものの保護メガネで過ごしています。

    結論…怖かったけれど手術やって良かったです。視力はまだ少し弱めですが、うつ伏せ寝もしなくて済み、ホッとしています。

    • ポルテポルテさん、無事に手術が終わられてよかったです。
      うつぶせ寝も無かったのですね、術後はホントに良く見えませんが、時間と共に見えるようになると思いますよ。

      この後は楽しい事が一杯待ってるでしょうから、今は養生してくださいね

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    ABOUTこの記事をかいた人

    ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」