アレルギーはトラウマの別名か?

去年の秋に目の手術を受け、その頃の体力をピークに右肩下がりで今に至ります。

そして、とにかくこの冬は風邪をひきやすかった。

治ったと思うと、もう次の風邪の引き始め?みたいな感じで。

動けない日が続きました。

 

しかも年が明けたころから始まったのが、心臓の不整脈。

急に心臓がきゅっ!と縮んだり、ドキドキしたり。

これは天命も近いか、と腹をくくりました

 

3月には雲仙に行こうとしたら発熱、そのまま体調を崩してダウン

回復して4月にまた風邪を引き、丸々一月風邪と仲良くしてました。

コロナの騒がれる社会ですから、人の集まるところは避けましたよ。

 

でも変でしょう?変ですよ。

普通なら免役が効いてる時期ですよ。

コロナだって治れば、しばらくは免疫がつくでしょう?)

それでも風邪を引くって何?

 

どんどん動けなくなっていくのはなぜ?

去年の目の手術の後はジョギングして、坂道ダッシュやってました。

なのに散歩さえも、ダルくて行けない。

ぐったりとしています。

 

 

一日のルーティーンの必要最低限だけをやるのが、精一杯、

さすがにこれはおかしい!

何かがおかしいのは分かるけど、何かって何?

 

でも・・

アセンションして波動が高くなっている世界のありがたさですよね。

問題ととらえると同時に答えが提示されました。

 

提示されたのは<アレルギー>

これは盲点でした。

アレルギーがあるなんて思ってなかったから。

去年からアトピーが酷くなっていた息子がアレルギーの治療を始めると言うので、私も始めました。

そしたら、それが思わぬ大正解をもたらしたのです。

 

 

アレルギーって恐いですね、

思うにアレルギーはトラウマの別名ですね。

メンタルのトラウマがどう形成されるかは言わずもがなですが

 

実は、アレルギーも同じだったのです。

強いアレルギーの反応は、それまでのストレスから解放され神経が交感神経から副交感神経に変わったときに起きやすいそうです

  • 交感神経=緊張
  • 副交感神経=リラックス

 

脳が強いストレス食べ物を関連付けて認識してしまうことから起きるそうです

 

例えば強い緊張状態の時に、チョコを食べてしのいだ。

それを脳が 強いストレス=チョコ と結びつけて記憶してしまうと大変!

チョコを食べる度に危機を思いだし、危機に対応しようと緊張状態になる。

これがアレルギーらしいです。

もちろんアレルギー反応はもともとあったのだけれど交感神経が押さえてくれていて感じなかった。

でも、危機が去ると副交感神経に変わるのでアレルギー症状も出やすくなる、と言う事だそうです

 

私の場合

最初に見つかったのが

なににでも入ってる糖分、脳の唯一のエネルギー源

だから、ご飯を食べる度にどんどん反応が強くなっていったわけ

 

アレルギーって肌に出るもの、と思っていたらとんでもない。

肌よりも内側に出る方が、じわじわと臓器を蝕んでいくものらしいです。

さては経絡までも乱れるって

これは先生様の受け売りの話なんですけどね、ごめんね。

 

 

でも、みんなこういうこと、知ってるかな?

少なくとも私は知らなかった。

だから目から鱗、ビックラポンですわ~!

今では走れるし、駅の階段もさっさと上がれます。

ご飯も美味しくいただいています。

もしかしたら奇跡を体験したかも( ´∀` )

 

トラウマって深いですね。

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」