雨降り山へ行ってきました

新緑の美しい季節、山へ行ってきました。

神奈川県にある〈大山〉、別名雨降り山と言われる山です。

この山は中腹に阿夫利神社下社があり、頂上に本社があります。

以前、参拝まではしましたが、頂上を目指すのは今回が初めて。

 

久々の山、あがれる自信はまるで無いです、それでも行ってみる。

雨降り山は本格的に麓から上がる事も出来るし、ロープウエイを使う事も出来ます。

     

私はロープウエイ使用、なぜなら・・まあ、それはあとで。

<毎時00分 20分 40分に発車です。>

歩いてみての感想は・・「超厳しい!」

急こう配なうえに大き目の岩がゴロゴロ。

ある人は、長い階段をひたすら上り続けるようだと評していましたっけ。

 

 

登り初めて30分も経たずに、下山を考え始めました。

息は上がるし、のぼりの角度はきついし、水を買うの忘れっちゃっているし・・

 

この2年近く、ろくに山らしい山に登ってません。

なぜか日々を追うごとにぐったりとしていって、今思えば四月が底でしたかねえ。

だから、登れる自信がないし、気持ちは最初から尻尾まいてます。

 

(なんでこんなところに来ちゃったんだろう?これ楽しい?)

(急こう配、ストック置いて来ちゃったよ)。

(無理じゃん、苦しいだけ、関節が軋む~~~、)

【出来る】

(このまま膝を痛めたら、整骨院直行だよ。だからやめようよ)

【行ける】

(水を買い忘れた、これってoutじゃない?熱中症・・)

【出来る、行ける。】

(なんでだよ、無理って思う傍から・・)

 

リタイアを望む私の中に譲らない何かがある。

私の内側の何かが、

『出来る!』

と言って譲らない。

 

脳内問答を繰り返してるうちに空気は曇天から快晴へ、そして雨の気配へ変わろうとしています。

空気は湿り気を帯び、霧が発生し幽玄さが増します。

邪魔になるかと思ったけれどレインギアを持って来てよかった。

さすが雨降り山、麓は曇り、中腹は晴れ、頂上は雨、天気がレイヤーになってます。

結局、内なる何かに引っ張られるようにして登頂。

 

頂上には売店がある‥はずなんだけど、どこ?

いいえ、探すまでもなく目の前にあった!

これが売店かあ?さすが山だな。

屋根があるだけ、マシなテーブルと、屋根も無いテーブル

不愛想なオッサンが作る、料理。

これこそ、辿り着いた者だけが食べられる逸品!

地上では絶対食べられない蕎麦。

美味しくいただきました。

 

この頂上の雨、霊験の現れでしょうね。

砂漠で超常現象は起きないそうです。

雨降り山、関東でも屈指の結願の山だそうです。

 

畏れるにふさわしい山。

関東でいまのところ、私が一番畏れる霊場は麻賀多神社、その次がここです。

観光地化してますが、半端な気持ちで近づかない方が良い山。

特に敏感な人は大丈夫でしょう( ´∀` )

 

久々の山だったので足がパンパンです。

雨降り山へお出かけの際は、晴れていてもレインギアは持って行きましょう。

 

そして、私的にはロープウエイ使用をお薦め。

なぜなら、この山、あれの生息地なのです。

未だ、私自身は遭遇していませんが、準備はしていきます。

蛭除け、これも持って行きましょう。

See you

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」