母の味は、成長したらアレルゲン

この間の投稿で、懐かしい母の料理をご紹介しました。

子供の頃って親が作ってくれる食べ物が全てでですから、キライでも、合わなくても、それなりに食べるわけですよ。

わたしも漏れなく食べ続け、アレルギーの話が出るまで、母と食べ物の関連性について考えもしなかったのです。

でも、脳内で母親と食べ物は密接に関連付けられていました。

これって当たり前かな?

<食べ物=母>

これを三段論法的に解釈すると

母=食べ物、ゆえに母が嫌いなら食べ物も嫌い。

あり得ますよね。

なので・・気づいてみると

母が食べさせてくれたものの大半は嫌い、かアレルゲンとなっていました。

そして先日、糖質へのアレルギーが発見されました。

ほとんどんの炭水化物に糖が入っています。

それは生きるために必要な母親の愛を象徴しているように感じます。

糖質=母親の愛、ならば糖質がダメなのは頷けるのです。

であれば、今まで解けなかった謎が解けてくる。。

【幼い頃に食べていたものの、その後】

  1. 卵/自主的には食べない
  2. 牛乳/ 昔は飲めたけど、今は避けるもの
  3. 牛肉/ 大嫌いなもの
  4. 馬肉/ 昔食べたのが嘘みたい
  5. 八宝菜/ キライ
  6. 西瓜/ 興味なし
  7. 鍋/ 大嫌い!
  8. パウンドケーキ/ ならば避けたもの
  9. マドレーヌ/ あれば食べるけど、食べたくない
  10. クッキー/ 好まない
  11. パン類/ 食べた後が大変なもの

昔の好きは、今のキライ。

パッと浮かぶ母の思い出の料理で好きなものが無いのです。

母を嫌っていると言う事は子ども的に認められないので、代りとして嫌いになったのがこれらでしょうか?

母には言えなくても、食べ物ならいくらでも「嫌い!」と言えます。

本来は善いもののはずなのに、歪んでしまった母性とアレルゲン

・・・似てるでしょ?

信用しきれなかった母親、それでもそれは意識してはいけない事。

それがアレルゲンに込められた、真の意味なのではないかしら?

人の意識って不思議。

あなたにも何かを象徴する食べ物ってありますか?

一度振り返ってみると面白いかも

#おふくろの味 #ママの手作り

#ホームメイドケーキの砂糖の量

#信用 #好きとキライ

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」