行ってきました、仙台/ 縄文古墳

おはようございます。

良い感じに曇ってますね。

昨日は仙台まで行って来ました、お土産はズンダ餅です。

 

旅の始まり

小さな古墳の見学のために出かけたのですが、小さいがゆえに見つけにく事この上なしでした。

事前に仙台の教育委員会に問い合わせて、場所、交通機関などを確認。

親切に対応してくださいましたが知らないのでしょうね、超アバウト。

レンタカーを勧めてくれますが、近くにパーキングは無いと言う。

(・・・・矛盾)

古墳では検索できないから、近くにある小学校、そこを目指して行けば良い。とも教えてくれるけどパーキングが無くてはどうする?

とにかく現地で対応と、スタートキーを入れる。

 

とにかく、人知を尽くしましょう

ドンドコ行くわけですよ。

が、ナビが案内してくれる道は細いし、入り組んでいるし、その上走り始めて、10分もたたずにフリーズ。

小学校からコミュニティーセンターに設定を変えようと、ちょっと触ったらもうOUTですわあ。

50音表記が出ない、電話番号検索もできない。

出来るのは住所検索だけ、

住所そのものが分からない場所に、住所検索の意味があるかああ!

 

旅は日常を離れ、宇宙の手にゆだねられていきます

人の使う常套手段が、次々に封じられていくわけですよ。

人の力が及ばないのなら、高次に力に頼るのみ。

【必ず、助けは来る】

と設定。

 

あとはもう、片っ端から声をかけて天使を探す。

(高次の存在が、私のために使わしてくれた天使、必要な情報を持っている天使様)

細い裏道で話をしているおばちゃんに声をかける。

家の前で洗車しているおっちゃんに声をかける。

みんな一生懸命説明してくれるんだけど、意外とアバウト。

古墳の周りで円を描いてグルグルして近づけない感じ。

近くにあるのは、分かるんだけど頭の中に地図が無いので身動きが取れない。

 

天使は必ず、現れる

車を走らせていると、目の前に消防署が見えてきました。

ここに泣きつく?

ちょっと違う感じがする。

こういう時は分かるものなんですよ、何処に飛び込めばいいか。

チョコっと視線をずらすとコンビニがある!

(ここだ!)

車は停められるし、ここだ。

ここに天使がいる、情報を下さ~い!

早速、年配の店員さんを捕まえて、事情を説明します。

「この道を真っすぐ行って右側にあります。道路沿いだからすぐに分かるはず」

と簡潔に説明してくれます。

やったあ・・・ここからは徒歩。

 

車を捨てて、目的達成、最後は人の力で成す。

仙台は関東よりは若干涼しい。

歩くには気持ちの良い天気。

今日は綿のワンピにカーディガン、靴もフラットなものにしているし、歩くのには向いてるわ。

で、テクテク、テクテク行くわけ。

 

すると、有りました。

確かに道路沿いだけど街路樹が並んでいて車からは見えない。

しかも、ウエスト辺りまでの高さの柵でず~~~と囲われていて入り口も無いじゃん!

(これ以上は歩きたくないわ。)

周囲を見渡せば人気は無し。

 

柵に足をかけて・・・あとはご想像にお任せします( ´∀` )

古墳は柵で囲われて、小さな公園の中にあったのです。

本来は古墳群と言うくらいに沢山あったのですが、ほとんどが住宅の下だそうです。

古墳には階段が設えてられていて上がって行けます。

とにかく上がりますよ。

 

古墳のトップにたどり着いて、周囲を見渡す、空を見上げる。

「情報は・・・?」

 

(GETです。)

 

やったね、さあ帰りましょう。

ホントは少し観光もしたかったのですが、フリーズした状態のナビでは恐くて行けません。

借りた時から、この車は少しばかりの緊張感を感じていたのです。

 

そそくさと車を返却。

あとはボチボチお腹が空いているので、ご飯タイム。

急速に空腹を感じます。

早く美味しいものを胃に入れてあげたい( ´∀` )

 

 

 

 

 

#仙台 #縄文遺跡 #古墳

#遠見塚古墳 #南小泉古墳群

#消防署の近く #ホテルメトロポリタン

#メトロポリタン ランチビュッフェ 一人3500円

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」