箱根旅/時を越えて、20年前の自分に会いに行く

今日は黄砂はとりあえず大丈夫かな?

この間の黄砂にはビックリしましたよね。

あの時はちょうど箱根にいて、黄砂に気づいたのは夕方。

ニュースで言っていたから。

きっと吸い込んでますよ

(だから午後から天気が変だったんだあ。)

 

箱根への旅は急に決まった旅でした。

最初は日帰りで行くつもりだったのに、それが・・・

それがなぜか、宿泊を考え始め見えない糸に引っ張られるように、あのホテルに予約をしていました。

20年前に家族で一度だけ泊まっただけのホテルなのに。

振り返れば、何かに仕組まれたというか、誘導されたというか、そう言う気配を感じる段取りでした。

現在を旅しながら、次第にかつての記憶は鮮明になり、深い部分で20年前の自分にアクセスしていきました。

旅の日程は超シンプル

  • 一日目に岡田美術館
  • 二日目に大涌谷立ち寄りの、ガラスの森美術館

特に面白いものは無い、と思わせるのはかつての経験があるからでしょう。

(今さら芦ノ湖で海賊船に乗ったからって、何が嬉しい?)

気持ちは飄々としています。

 

すっかり寂れた岡田美術館、残念な展示

若冲と田中一村、二人の展覧会を見に行きたい。

旅の切っ掛けはこれでした。

冬の頃から、春になったら絶対見ようと思っていたのです。

 

二人は大好きな画家さん。

私にとってはValentineチョコとクリスマスケーキを一度に食べるような推しのコラボです。

これを逃す手はない、絶対に無い!

そう思って遥々来たのに。

二人の作品はほんの数点、後は違う画家さんの作品がずらっと並んでいるだけです。

何で若冲と一村を見に来て、横山大観を見るのか?

理解できません。

人は疎らだし、館内は暗いし、下手をすると墓地にいるような錯覚を感じ始めます。

アンティークを展示する施設には独特の陰のエネルギーが蓄積しやすいのです。

返す返すも、若冲と一村、この名前に釣られてここまで来た自分が・・・悲しい。

費やした交通費、宿泊費、私の時間

お祭りの夜店で引っかかった気分。

 

今夜はかつて憧れた超豪華ホテルにお泊り

正午を過ぎてから、だんだんと風も強く曇り空になって来ています。

美術館の他に行きたいところもないし、少し早いけど今夜の宿泊先へ向かう事にしました。

登山バスに乗り、宮ノ下のバス停で下車。

少し歩けばあのホテルです。

チェックインの時間まで少し時間があります。

折角なので、通りを散策しようかなぁ・・ん?

(おっとお~~~!)

お店はみ~んな臨時休業。

旅のガイドブックにはセピアア通りを散策とか、楽しそうな記事が載ってるんですけどねええ。

閑散とした通り道があるだけ。

20年前にここに来た時は、ピカピカの観光地だったのに。

軒を連ねるアンティークなショップ、ベイカリー、そこはかとなく香る高級感。

それなのに、今は・・・荒廃のイメージがぬぐえません。

 

空気も何となく埃っぽいし、これはホテルの中でチェックイン時間を待つ方が良い。

たどりついたホテルは瓦の屋根の木造建築の建物。

そこへ辿り着くための長い階段

壁にはローマ字で< FUJIYA HOTEL>  と書いてあります。

(昔はかっこよかったのになあ・・。 )

20年前のホテルは、今どんな風になっているのでしょう?

階段を上がり始めると、ドアマンが気づいて階段を駆け下りて荷物を預かってくれます。

この気配りは流石・・というか当然よね。

 

魔法は解けてしまったのかしら?あの豪華なホテルの面影も無し。

木製の古い回転ドアを抜けるとそこは別世界?

時間を越えて、あの華やかな空間に出るのでるのかしら、期待が高まります。

・・・あれ?ここ何処?

かつて、圧倒的な美しさを誇っていた和洋折衷のホールは・・?

過剰なほどの装飾は?どこへ行った?

ひんやりとした寂れたホール、経年劣化は否めないようです。

シンデレラの魔法が解けた気分。

魔的な美しさを誇っていたホストを、真昼の太陽の下で見るような・・例えが違うか?

先ごろリニューアルしたはずなのに・・・

思い出の中のホテルは豪華絢爛なのに、現実の建物は経年劣化が酷い。

私が変わったからなのか、施設の質が落ちたのか?

両方かもしれませんね。

 

20年前は別世界への憧れのように見つめていたホテル

20年前にこのホテルに泊まった時は、格安プランで泊りました。

夫婦と子ども3人、華美なフロントを通り過ぎ案内された部屋にがっかりしたものでした。

部屋の中は至ってシンプル、ホールのような豪華さの欠片もありません。

窓からは建物の裏側、藪が見えます。

(まあ、子どもがいるから、これで良しとしよう。)

(人に見えるところと見えないところはこんなに差があるんだ)

と、しみじみと思ったものでした。

 

しかも、夕食も酷かったあ!

食事もファミレスの定食か?と思うようなステーキを焼いただけの皿

(格安はこれかあ~、ブチ!)

一番豪華な部屋とどれほどの差があるのだろうか?

昼間、車で山を下りながら、木立の間から見えたホテルの様子は鮮烈でした。

豪華な作りの屋根の下、日当たりの良い部屋のベランダでリカちゃん人形のように人が寛いでいる。

そこは他者に見せるためのステージのようでもあり、特別な人が滞在するのだろうと、言葉も無く分かる風情でした。

(手の届かいない世界かあ・・)

と若い頃の私は思ったものでした。

 

かつての夢を叶えてみても、舞踏会が終わった後のような虚しさ。

今回、宿泊に当たっては、20年前のボロの部屋の記憶があったので、安い部屋は恐くて選べませんでした。

今でも北向きの、あの変な部屋に通されたら悲しくなります。

だから、少しお部屋選びも頑張りました。

通された部屋は東向きのツインの部屋、日当たり良好。

白と木材の茶がベースの部屋です。

 

古風な浴室も白を基調にしていて、ここは気に入りました。

レースのカーテンを開けると、別棟のお部屋がちらりと見えます。

室内はお洒落なアンティーク、もちろん清潔に掃除されていゴミ一つありません。

(家族でこの部屋に泊まりたかったな・・)

皮肉なものですね。

20年前、家族が一緒の時には北側の格安の部屋、今は一人で東側のツイン。

(人生はいろいろだなあ。)

 

夕食までの時間は、過去の記憶をたどって館内散策

さあ、一息付きましょう。

ソファに座って、テレビをON・・

だけど夕方だからなのか、面白い番組も無く、逆に退屈。

時計を見れば、夕食まで間がありますから館内を散策する事にしました。

部屋を出て、すぐのところにある階段を降りていきます。

<宿泊客以外は通れません>と途中に立札が置いてあります。

古風な階段はタイタニックの、あの階段を思い出させます。

こうなったら、私もローズのように颯爽と降りて行きましょうか( ´∀` )

通路を歩きながら、天井を見たり、窓を見たり、昔の面影を探します。

が、20年という時間の経過で魔法が解けてしまった感は否めない。

フロントの奥にある階段を降りると、小さなショップがありました。

早速入って見ます。

パンやお菓子、浴用ソルトにオイル、寄せ木細工のコースター、アクセサリーに衣類

目が楽しい♡

旅先でも、買い物は楽しいですよね。

娘へのお土産に寄せ木細工のコースターを購入。

気が付くと結構時間が経っていています。

ちょっと気になって、鏡に映してたラベンダー色のワンピにさよならをして店を出ます。

 

夕食時、静寂の中で次元の境が解けていく

夕食は17時30分start。

まだまだ明るい時間です。

古民家のようなレストランで懐石料理を頂きます。

私は濃紺のワンピと白のロングカーデに着替えました。

本当は和服を持ってきたかったけれど、重量に負けて断念。

レストランからはスマートカジュアルでと言いうお達しがあるし、まあこれならオッケーでしょう。

窓際の席に通されました。

 

おひとり様は大体、部屋の隅ですよね。

本当は嫌だけど、今回はお庭が良く見えるので、文句は言わない。

海外からの宿泊客は庭から一番遠い奥の席、店側にはそれなりの理由があってのセッティングなのでしょう。

窓ガラスも古い物らしく表面が波打っています。

お食事が始まり、次々にお皿が供され、私はお庭を見たり、スマホを見たり、それなり楽しんでます。

 

箸休めにお茶をすすっていると、急にテーブルの向こう側が気になり始めました。

一人飯ですから、空白のポジションです。

誰もいない一人のテーブル・・のはずだけれど

目に見えない、何も聞こえない、だけど

(ああ、・・そこにいるんだね。)

 

そう言えば夕刻は逢魔が時、次元を超えた邂逅の時。

お互いに違う次元にいる。

言葉も交わさないけれど、そこにいるのだ。

差し向かいにいて、それで満足している。

私はお茶をすする、猫舌だから一気には飲めない。

誰も気づかない、私だけの知覚かあ。

 

お庭に目線を向けて、ふと思う

このための見えない糸、このための旅だったのかもしれません

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」