私の座右の銘は、過去は未来で待っている

あなたには座右の銘ってありますか?

私には図らずも二つあります。

・人生シリアスには決まらない

・過去は未来で待っている

この二つです。

シリアスにはと言う方は置いておいて、今日は過去は未来で待ってるについて、少し。

人生節目ごとに置いてくるもの、手放すものってあるじゃないですか?

それがあるから人生身軽になるみたいなものでしょ?

そういう置いてきたもの、手放したものとなぜか未来で再会する。

と言うことが多々あります。

例えば、過去世の恋人・・おっと飛びすぎかあ(笑)

もう少し現実的にすると

子ども時代の夢を大人になってから、気がついたら叶えていた、とか

私は子どもの頃から考古学系の話が好きでした。

エジプト、インカは特に好きでしたね。

エジプトは暑くて行きたくないし、インカはどこにあるか知らない、絶対行くことはない。と思っていたら

なぜか次々と行きました。

憧れのツタンカーメン王の仮面を見て、ピラミッドにも行って、マチピチュでは知恵熱を出してました(笑)

他にも多々あるけど、急には出てこないなあ。

子どもの頃に諦めた夢を、大人になってから気がついたら叶えていた。

これだけじゃないのですけどね、よく思い出せない。

象徴的な形で出会うこともあるし、それが起きた時にはピン!と来るはずです。

だからね、無くしてしまったと肩を落とす必要はない。

また出会うから、

それは人も、出来事も、物も同じ。

だから、安心して断捨離しても大丈夫よ(笑)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」