許しの天気予報図

許し、この崇高なもの

人類に課せられた、遠大なテーマ。

これによって、お前は本当に知恵があるのか?知的生命体と言えるのか?

と、問い掛けられているかのようです。

あなたは人生で何時だったら許せざる敵が許せるのか?

誰だったら無条件に許せるのか?

諸々の出来事のうちのどれだったら許せるでしょう?

さあ、難しい問題です。

偉大なる聖人なら未だしも、ごくごく普通に生きてる私たちは・・・どうしましょう。

気持ちよくすっぱりと許せますかね?

許せない、その正しい理由を投げ出せますか?

昨日は許せたけど、今日は気分じゃない

「首絞め上げてやらないと、気が済まない~!」

あるあるだよね。

赦すと言ったその舌のかわかぬうちに許せなくなる。

 

それで良いんじゃない、私達人間だもの。

その瞬間、その日その時、出来れば良いんじゃないですか?

さっきも言ったように、私たち人間だから、神じゃないから。

それだって、瞬間瞬間の許しをつなげて行けば、点が繋がって線になるように、許しだって続いていく。

今はそれで良いんじゃないかな。

遠い未来までも許すよりも、この瞬間今を許す事が出来れば良いんじゃないかな?

明日になったら、また新しい許しを実践して行けば良い。

幼い子どもが喧嘩しても夕方にはそれをチャラにして、また翌日新しい遊びを始めるように。

私たちも幼い子どものように、許しては、また許す。

天気予報だって当たったり外れたりなのだから、あなたが気分で許せたり、許せなかったりは、可愛いものだと思いますよ。

ねえ、完璧さを求めるよりも、出来る事からやっていく地道な作業があってますよ。

あなたもわたしも根は可愛いんだから、そのくらい許されますって(笑)

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」