ヨモツグヘイ/この世界の食べ物の不思議

このところ続いて書いてますヨモツグヘイ。

3回目です。

書く毎に生きること、死ぬこと私たちをここに置いた存在の思惑などなと、色々と考えさせられました。

何のかんの言っても私たちが創造主から託されたものは<有限の時間>だけじゃないですか?

私たちを創造した存在はインフルエンサーになる事も大金を稼ぐ事を期待してません。

そう思うのはおこがましいですかねえ?

皆気づかないふりをしているけれど生まれた瞬間から人生は死に向かって進んでいく。

うわあ・・・やるせなあ。

そう言えば、似たようなことを言っている映画がありましたよね?

トム・ハンクス主演、<グリーンマイル>。

死刑囚のいる牢屋の番人が主人公で、死刑が決まると1人づつ電気椅子に座らせて刑を実行していく。

そこに人生ドラマがあり、奇跡があり、涙がふっと・・。

鮮烈なシーンもあるので、詳しくは書けませんが、良い映画でした。

あの映画では主人公は死のテーマとは逆に長い寿命を得てしまうのですが・・

あなたは覚えてますか?

どんな貧富の差も年齢差も超えて、人類全員平等に死に向かっている。

だ・・そうです

とは言え、社会全体から死が隠されつつある気がします

最近は死にまつわるもの、老いにまつわるものが隠されていませんか?

生きる事、繁栄する事のみが人生にあるような勢い。

昔はお寺さんがなんとか講と言ってはお年寄りを集め、お話をしたり、笑わせたりしながら、死に向かう心構えが養っていたような気がします。

そこへ行けば、お友達もいてみんなで気持ちを共有するみたいなこともあったでしょう。

今はそういう活動は減りつつあるし、今はお家で独りが奨励されて・・

お年寄りの死への恐怖は拡大する一方に見えます

長生きはしたくないと言いながらもワクチンは打つ、あの姿勢には圧倒されました。

それもこれも死が生活から遠ざかってしまっているから。

だから、なおさら怖い。

のではないかなあ?と推測します。

 

生きる事を強く望むことも、時に欲、執着ですよね。

語弊があるかな?

生きていたい!と望むのは当然だと思うのだけれど

度が過ぎると、それは欲でしかないでしょう。

引き寄せの法則で、健康を引き寄せようとしたのに失敗した、出した結論は、あれは嘘だった。

次はサプリをAmazonで次々に買い込んで飲む!何で回復しないんだ?

それならばヒーリングで、波動でと手を変え品を変えて施術、望んだような回復は訪れない。

これだけやってるのにオカシイだろう?世の中間違ってる

 

これは願いですか?

欲張ってるのでしょうか?

あなたはどっちだと思います?

以下の3つをポイントに考えてみるのも良いかもしれませんね。

  • まずは自分の人生が最優先
  • 望みは叶った傍から、もっと叶えたくなる
  • 思ったように人生が動かないと納得できなくて、自分/他を責めてしまう。

これだと、願いって言うよりあれですかね?

何となく慌ててしまう?今はそれだけでも充分ですよ。

いずれ、気づいたことは変えていけますから。

 

私達の視線はほんの少しだけ、センターからズレてませんか?

  • いかに皆の人気者になるか?
  • いかにお金持ちになるか?
  • いかに成功するか?
  • この人生で何をするか?どんな風に生きるのか?

を追求する前に、身に付けるべき何かはあるでしょう。
それは、人生には限界がある、と言う事を知る智慧
全員が死ぬ、と言う事を受け入れる智慧
人生とは変化の連続だと言う事、安定や安全は退屈を呼ぶと言う事をわきまえる智慧

そう言う智慧を教えてあげた方が良いんじゃないかなあ。

恐がらせるためにではなくてね

豪胆さを養うために

死を恐れて逃げて生きるのではなくて、

いつか来る死は受け止め、やりたい事をやっていく。

勇気を持って。

これは・・格好いい、と私は思う。

 

 

 

 

 

#アセンション #新しい地球

#命を育てる食物

#人は食べ物で<病/健康>を得る

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」