ヨモツグヘイ/この世界の食べ物の不思議2

前回の記事では、この世界で食べる食べ物の不思議さを見て行きましたね

ヨモツグヘイ/この世界の食べ物の不思議

こちらを書くまでは特に意識していなかったのですが・・

この世界って、ホント暗いですよね~~

(ここが地獄の最上階じゃない?・・)

良い子、善良な人はこの続きはスルーした方が良いかもしれません。

割とダークな物の見方をしていますから

それでも、興味を感じていただけた方はお付き合いください。

 

生れ落ちた世界は<死>を食べて生きる世界

良いとも悪いとも言い難い、自然の掟と言われればそれまでかもしれません。

今となっては社会の掟なのかもしれませんが・・・

生きるために、死ぬまで毒を食べ続ける世界(社会)かあ・・・

毒だって最初は微量だから特に反応は無いわけですよ、却って薬と呼ばれるかもしれません。

食べ続けて、食べ続けて器である肉体の許容を越えたところからじわじわと効いてくるわけです。

その頃には肉体も老化が始まるから、皆、老化のせいにしてしまう。

いや、されてしまうのかなあ?

 

最初に口にしたものが毒なら、肉体は受け入れつづけます

最初から毒を摂取しているのなら、肉体は摂取を止めない限り毒を毒とは判断しません。

身体が腐りながらだって、食べ続けます。

病を得るまで、食べつづけるのも、自身で異常を感じつつも止められないのも凄いところですよね。

善いものと言う刷り込みのおかげですかね?

でも一旦摂取をやめれば、体は正気に返って、毒を毒と見なし拒絶します。

何となく思い出す話がありませんか?

中世貴族暗殺を逃れるために、少しづつ毒を摂取して毒の効かない体にしていくと言うあの話です。

似てませんか?

私たちが食として日々摂取しているかもしれない毒にはさらに恐ろしい側面がありますよね?

それは依存性がある事。

「ちょこっとならいいでしょう?」

と言って摂取を続けると中毒症状を起こして、もっともっと欲しくなるように出来ているでしょう。

ほら、チョコレート一個食べると、一箱食べたくなる、あれ。

ビールもねえ・・知ってるよね( ´∀` )

女の人に良くあるのは出産授乳のあいだにお酒を断ったら、以前よりも飲めなくなった、と言う話。

・・体が拒絶してますよね?ほらね。

似てます。

 

 

この世界の支配は私たちを本当に愛しているのかしら?

かつて、異国の神は産めよ増やせよ、地に増えよと言ったそうだけれど

食べ物の仕組みから想像する限り、

「愛しているわけじゃアないな」

使用期限内はとにかく働け、期限が切れたら、さっさと機能停止

と言っているようなものだと思う。

この世界に生まれ落ちた私たちに約束されているのは有限の時間、言葉を返せば だろうか?

生命力にあふれた赤ん坊さえが、その命を削るものを日々摂取していく。

最初はその命の力で、老化は見えないだけ・・。

死が祝福としてことあげされているわけかあ

昔の歌に

♪生まれ落ちた時に聞こえたのは絶望の声だった♪とかいうのがあった気がするけど?

中島みゆきだったなあ

私たちを創造した存在は何のために、限りのある命を私達に与えたのかなあ?

やっぱり、今も昔も働け~!なのかあ

 

私たちが本当に必要とするのはタンパク質ではなくて、エネルギー?

萩尾望都さんが描いた「ポーの一族」には麗しい吸血鬼の一族が出てきますよね。

オスカー、素敵♡

彼らが本当に必要とするのは物質としての血ではなく、そこに秘められているエネルギーだそうです。

それって、私たちと食べ物の関係に似ている♡

そう思いませんか?

多分私たちの本質にとって、食べ物を消化してエネルギーを得ると言う事はイレギュラーな事なのではないでしょうか?

私たちは肉が欲しいわけじゃない、ケーキが欲しいわけじゃない

その中にある<エネルギー>が欲しい。

今は肉体があるから、食物と言う形で効率悪く摂取しているけれど、本当はエネルギーを得たい。

エネルギーを循環させたいかな?

だから、昔から言われる腹八分目が良いと言うのは本当なのだろう。

消化器の老化が全身の老いを促進し、肝臓と腎臓が肉体の寿命を決める。

食物をとらなくても、効率的にネルギーを摂取する方法を獲得すれば、健康に長生きが出来るのか?

どうなのかな?

そもそも肉体に無限の時間が用意されているとは思えないが・・・

 

無限の時間を持つ私たちが有限の時間の中で生きる意味は?

何とも恐ろしい世界に生まれてしまったけれど

システムが恐ろしいのは変えられないとしても、そこでどう生きるのか?は選べる。

システムを利用しながら、人生を楽しむことは出来るでしょう。

そもそもなぜ、無限の時間を生きる私たちが、有限の時間の中で生きる肉体を得るのでしょう?

問いかけはそこからですよね。

何が答えなのか、私自身でもまだ明確には言えないのですが・・・

答えではないけれど言える事が一つ。

お金と経済は3次元世界の物、と言う事

アセンションでにしろ、死によってであっても、一旦次元移行が起きたら持って行けません。

あなたも私も手ぶらで次元を超えて行く事になります。

何だったら次元を超えても持って行けるのでしょう?

せめて時間のあるうちに、手土産代わりの持って行けるものを見つけたいですね( ´∀` )

 

では、そろそろページを閉じましょう。

あなたも答えを見つけてみてくださいね。

また一緒に考えましょう、答え合わせかな?

またね

 

 

 

 

 

#アセンション #食べ物と健康

#薬と食べ物紙一重

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」