友達なんだから「もう少し一緒に行こう」

サクラがほころんで、満開まであと少しですね。

昨日は友人からラインが来て、思いもかけぬ入院の話を知りました

お腹に水が溜まっているので、治療を始めるとは聞いていましたが

まさかの入院とは・・・

 

ラインの文章は珍しくも気弱、あまり良い状態ではないと伝えてきます。

その彼女と最後にあったのは何時だったか?

もう時間を辿れません

「退院したらご飯を食べよう」

とすぐに、約束を交わしました・・・

・・フラグが透けて見える気がするのは、気のせいでしょうか?

アセンション後の今は、次元の移行は速やかなはずです。

 

 

彼女の心配をしているつもりが、気づくと私が案ずるのは自分の事

また、別離の衝撃が来るのか?

残されて一人になるのか?

彼女がいなくなる分の空白・・

若い頃から続いてきた友人の代わりは、やはりいないのです。

(・・・自分の心配かあ、弱いなあ)

 

彼女とはかれこれ30年以上の付き合いになります。

仕事場で知り合った先輩で何かと馬が合いました。

何もかもが合う、と言う訳でもないし、喧嘩もしたけれど、それでも仲の良い友人でした。

これは、オタク同士の付き合い ( ´∀` ) とでも言うのでしょうかねえ。

BLの世界を教えてくれたのは彼女だったし、ナウシカを教えたのは私。

京都へ一緒に行った時は喧嘩して帰ってしまって、以後はそれぞれに一人旅( ´∀` )

彼女は美味しいメニューを選ぶのが下手で、いつも私の真似をして頼んでいたっけ

山手線一駅分の運賃を惜しんでは、一駅歩いたりお嬢の癖にケチだった。

一瞬、同じ男を好きになった時もあったけど、いつの間にかどうでもいい話になってしまった( ´∀` )

 

人生は一度きりじゃない、と知っていても

生と死と二つで一つだ、と分かっていても

これから、彼女にどれくらいの時間が残されているのか、気になるし

残った後の虚ろさが心配

治療がうまく行って、回復してくれれば良いけれど

 

アセンション後で新しく世界を構築している今は、去る人は早いかも

 

気を紛らわしに映画を見て来たけれど、パッとしない

お土産に買った苺大福は不味かった。

今日はこんな日かあ・・・

 

新世界のここに豊かな喜びが溢れますように

 

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」