網膜前膜+白内障 / 手術の夜、天空では月食が起こっていました

網膜前膜+白内障(眼科としては難しい手術らしいです)

2時間に及ぶはずの手術は50分で終わりました。

拍子抜けのまま病室に戻った私です。

 

術後には2時間の安静タイムが義務付けられベッドで横になっています。

空では天体ショー。

SNSも賑やかですが、私は呆然としていました。

 

昨年11月の皆既月食は洞爺湖の畔で迎えていました。

知らずに選んだ手術日にも、もしかしたら意味があるのかもしれません。

困難な状況を生きる時、意味を見出す事の価値は大きいです

 

2時間の安静タイムが終わるとすぐに夕ご飯

朝早く家を出たので朝食は無し、ランチは半分だけ

(手術の前は半分だけ食べるようです。)

だから、口に入れるものは全部美味、美味しい♪

左目はばっちり眼帯をしています。

右目だけで距離感が掴めるか?と思うと案外大丈夫。

鏡に自分の姿を映すと・・・痛々しい。

そうっと、眼帯を外して、左目だけで見てみます。

 

クラっ・・・!

 

直角が無い・・・

まるで、人が気絶する時に見るであろう、ぐらあ・・とした世界。

曲線だけ・・

びっくりしてすぐに目を閉じました。

(心臓に良くない・・)

本当に視野は回復するのか?

どこまで回復するかは本人次第

医者は何も保証するような言葉はかけません。

どんな事が起きるのか、の説明もありません。

手術がどんな風に進むかのとても理性的な説明はありましたが

気持ちが安心するような言葉かけや説明は無いんですよね。

残念ながら・・・・

 

極限状態に近いので、良い感じに感情がマヒしています。

理性がフルに活動して、守ってくれているのでしょう。

危機を脱するまではこのままが安全。

 

病室の窓からは方角が違うのか

月は見えません。

SNSでは、友人たちが月を肴に大盛り上がりです。

気分を盛り下げるのは残念なので、彼女たちに手術の話をするのは明日になってから。

 

 

2 件のコメント

  • 私も手術直前の診察で、『膜を取り除く際に網膜が破れたり穴が開くことがあります。その場合は、うつ伏せ寝をすることになりますので』と言われました。
    執刀医として言わなければならない事でしょうが…そんな怖い事、今言う?って正直思いました。
    KACOさんが見た術中の景色…私も同じような物見ました。硝子体を取り除く時なのか?膜を剥がす時なのか?モノクロの万華鏡みたいな模様を見せられました。不思議な景色でした。

    • ポルテポルテさん、手術で私と同じようなものを見られたのですね、あれはもうSF映画を見ていると腹をくくるしかないですね( ´∀` )
      恐いのか、開き直りなのか、意識も体も硬直してしまって・・・
      恐さを理解したのは手術が終わって、安全だ、と感じ始めた頃かな
      恐怖を乗り越えて生還した人をサバイバーと言うそうです。

      今回の手術の全てが恐かった事も,不安だっと事も、ホッとしたこともポルテポルテさんの力に還元されますよ。
      手術が無事に終わって、良かったですね。

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    ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」