網膜前膜+白内障/入院中の話

目の手術をして、短い間でしたが入院していた時の話です。

手術は網膜前膜+白内障の手術

眼科としては難易度が高く、所要時間は2時間

入院は2週間、と聞いていました。

そのつもりで入院中に家族が困らないよう色々用意をしていました。

 

が、やってみると手術は50分、

翌朝の診察で、あろう事か

「このまま帰っても良いですよ。」

と言われ、びっくりして返す言葉も見つかりませんでした。

 

それを伝えた娘はもっと激しい反応をしました。

「どんな見積もりしてるんだ!」

と怒髪天を突く勢いでした。

 

まるで小旅行の様にキャリー持参で入院した私。

中身はCDプレイヤー、ノートパソコン、放題に契約を変えたスマホ

パジャマはもちろん(レンタルもありです)

水筒、サプリ、紅茶や煎茶のティーパック

退屈しないように2重3重に準備しました。

 

DVDも見られると聞いていたので映画も一杯持ってきました。

でも、さすがに長くは見ていられなくて、音を聞いている状態でした。

ウオークマンに入れたドラマCDが大活躍。

 

病室は14階です。

ここから1階にあるコンビニへの買い物は許されているので

1日に2、3回は降りて行きました。

因みに14階の自販機でお水を買うと130円

1階まで行くと100円です。

 

一日三食の食事は提供されますが、飲み物の提供はありません。

一階のコンビニへ行きなさい、と言う事でした。

2日いて、だんだんと分かってきた事は

どうも私がいた階は、重病患者がいる階では無いらしい。と言う事

どっちを見ても要介護の老人ばかりなのですよ。

なんだか、不思議なところでした。

手術前は大手術だよ、的な話ばかりだったのに終わってみるとなんか違う。

終わってみて、初めて分かるのは

眼科と言っても、やる事は外科なんだ、と言う事

切って、貼って、消毒したら終わりなわけ。

(なるほど~~~。)

 

二日で退院は聞いた時には唖然としましたが

二日いたら、納得です。

やる事が無い、運動不足でご飯が入らない。

初日に食べられたご飯の量が三食バッチリ食べてると無理!

胃薬が欲しくなります。

 

だから、二日で退院は正解だと思いました。

ただ、家に帰って恐いのは細菌感染

手術の後で傷口がまだふさがってませんから、感染症を起こしたら・・・

失明・・・

それだけは要注意。

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」