【どんな空間で生きるのか】が、これからは鍵になるのかも

この間ニュースを見ていたら、幼児虐待をした夫婦の話をしていました。

最近はよく耳にしますよね。

今まで水面下で見えなかったものが、現れて来たのか?

全く新しい事が起きているのか?

その違いは、はっきり知りませんが

私はそう言う話を耳にする度に、過去生の因果が摘み取られたのだ、と思ってきました。

が、最近入ってくるようになった古い時代の情報から察すると、そればかりでもないような気がしてきます。

もしかしたら、虐待などの凶事が起こりやすい空間と言うものは実在するのではないでしょうか?

オカルトではなくて、科学的な話としてです。

あなたはどう思いますか?

 

凶事は空間の影響を受けて起こる?

昨今の虐待や虐めなどの増加は、空間構造の歪みが原因の一つなのではないでしょうか?

凶事の原因は、人間の心の問題が大きいといのはもちろんなのですが

凶事が起こりやすい空間構造が実在し、そこで暮らしたがためにネガティブな影響を受けてしまった。

その空間は五感では感知できないネガティブなエネルギーが滞留していて、知らぬ間に潜在意識をじわじわと侵していく。

サブリミナルなのか暗示なのか?

絶妙な言葉で説明はできないけれど、私たちが影響を受けてしまう空間ってありそうです。

そう言うものは心霊現象の分野で検討するもの、と思ってきましたが

霊現象ではなくて、科学的な説明ができるものがあるような気がしています。

 

サンクチュアリが実在するのであれば、逆もまたありなのでは?

学者では無いので、ああでこうでと、噛み砕いた話は出来ませんが、神社などの聖なる空間が、実在するのであれば、対極もまた在り、と思えます。

それが自然の摂理のような気がします。

明言は出来ないけれど、直線的な構造が、何かの形で組み合わされた時に空間が歪むような気がします。

凶事の発生率は、私たちが昔ながらの生活空間を失うのと比例しているのではないでしょうか?

もしかしたら、あらかたは何事も無いのだけれど条件が整った時には私たちのセンサーを狂わせてしまうエネルギーを放散されるとか

そう言う事を体系化したものが家相と呼ばれているのかもしれませんよね。

 

立方体構造の空間と、球体構造の空間は違うのかもしれない。

なんとなく感じているのは円と言う形、球体と言う形です。

もしかしたら、私たちが忘れてしまった意味・エネルギーがあるのかもしれません。

果たして円形構造をとった時、家相は成立するのでしょうか?

未知数の話だけれど、興味深いでしょう?

もしかしたら、未来では

『本当にあった怖い話』は今よりもリアルに

科学的な話として語られるのかもしれませんよ。

私はその手の話、好きですけど、

あなたは好きかしら?

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」