コントロールを越えて、羽ばたけ不死鳥の国

昨日、味噌作りに参加しました。

味噌はねえ、一人で作るよりも何人かで作る方が楽しいのです。

作り終るとおしゃべりタイムですよ、これも楽しい。

主催者が手作りスイーツを用意していくれてたりして、ウマウマ( ´∀` )

で、その話の流れで、聞こえて来たのが

「小さい頃はイカを加えて、ザリガニを取りに行った・・」

「今の子は外に行かないから・・結局はゲーム」

「今の子は外遊びを知らないのよ」

 

マインドコントロールの完成形として、子どもは自然から引き離される。

ふうんって、笑って聞いていましたけど

(本当なんだ・・)

と、思ってドキッとしました。

どこかで耳にしたけれど

戦後、日本を解体するためのマインドコントロールが仕組まれ

何世代後かには、日本人は日本人らしさを忘れ、違うものになっていく、という話。

その結果として、子ども達は自然の中で遊ぶ事を忘れ、人工的な環境に適応していくように教育されて行く。

未来の子ども達は、もしかしたら虫の音を聴くことは無くなるのかもしれません。

一番日本人らしい遺伝子を有するであろう皇室の方々だけが虫の音を楽しめる時代が来たりして?

 

私の世代はマインドコントロールの初期型

そう言うマインドコントロールが戦後のすぐの社会に仕掛けられたのだとしたら

私などはマインドコントロールの第一世代あたりかもしれませんね。

エヴァンゲリオンで言うところの、プロトタイプ。

私自身、ほとんど外遊びをした事がありません。

しかも一人っ子だから、沢山のコミュニケーションが必要な頃に、得られませんでした。

とっても人工的に育ちましたよ。

自然とも人ともたくさんの触れ合いが出来なかった。

そうやって集団や自然から引き離した場合、どんな風に育つか?の実験がされた世代かもしれませんね。

人間関係はおかげさまで、もめまくりました。

揉めたおかげで、成長はしました。

自然もねえ・・外に放り出されるとどうして良いか対処できずに呆然としていた幼少期でしたが

今は散歩が好きです。

歩くと整うが解るようになって、歩くことが瞑想のように歩きます。

『山へ行くと楽しいよ。』

と教えてくれた人がいて、軽登山にも行きます。

今では同世代の中では、動き回っている方かもしれません。

 

これで終わるのか?始まるのか?それが気になるところです

今はマインドコントロールに振り回されたような人が闊歩する日本が浮かび上がっています。

子ども達は自然から引き離され強さや優しさが削られて行っている。

本当はもっと凄い絵面がありますよね、書かないけど。

そう言うのを見ちゃうと、この国もうダメなんじゃないか?とか心配になります。

(実情、海外のコントロールはもっと凄いとも思う)

心配の反対側には希望もあります。

『光は東から現れる』

極東の日本では無いかと言われています。

そうであって欲しいです。

が、今はたぶん光と闇が混在する状態なのでしょう。

このまま闇に沈んでもおかしくないし、起死回生してもおかしくない。

今はそう言う時代の大きな転換期なのでしょう。

 

生と死の入り混じる時代

この混乱した時代の中で、狂気のように死を求めていく人達がいます。

本人たちはそれは生だと思って求めているのですけれど

生と言うパッケージに入った死だと見抜けないようです。

それもマインドコントロールを受けているからなのでしょう。

ちょっと考えれば、生なのか死なのかすぐに分かりそうなものなのに。

横目に見て、とても歯がゆく思うのですが、止められません。

なぜ、そんなに生と書かれた死を選びたがるのか?

私には謎でした。

が、それも分かって見れば至極、うなづけることのように感じ始めました。

 

成長は個のため、老化は全体のため

私たちは胎児の頃に、生物の進化をなぞって誕生しますよね。

手は最初、鰭のようなモノだったのが、細胞が自死する事で手になるそうです。

これと同じことが今、民族としてあるいは人類として起きているのではないでしょうか?

もしかしたら生と書かれた死を選ぶ人たちは自分のためではなく、全体のために選んでいるのかもしれません。

だから、どうしょうもない衝動のように選ぶのかもしれません。

 

全体像が見えてこないと、理解できない事はある

部分だけでは見えないもの、聞こえないものはあります。

戦後の日本にマインドコントロールが仕掛けられたとして、どこまでそれがかかっているのか・・

ある程度時代がたってみるまではっきりしないでしょう。

だって、日本は不死鳥の国だから。

逆境から立ち直るのは得意です。

いま、生と書かれた死を、蛾が火を求めるかのように追いかけている人たちも

心の奥の奥では、全部わかっていて敢えてそうしているのかもしれませんね。

言葉にもできないけれど、知っている大切なものを守るために敢えてそうしているのかもしれない。

それは、全体が現れるまで何とも言えない事です。

今は善も悪も判然としない。

視点を変えれば、善も悪に、闇も光になる時代。

この混沌から何が飛び出すのか?

誰も全体像を認識できないので、コントロールにもかかりやすいのでしょう。

他人が良いと言った事ではなく、自分が良しと思ったことをやる。

それが一番良いのでしょう。

 

日本の不死鳥が目覚め、羽ばたきますように

願わくば、燃えた松明の熾火の中から不死鳥が蘇るように

縄文の血が蘇りますように。

東から光が現れる、その言葉と通りに光がほとばしりますように。

未来が日本を必要としている。

それは解っている、でもそこにたどり着くプロセスは明かされていない。

がんばれ、私たち。

 

 

 

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」