霊的な道を志す者ならば

霊的な道を志すものならば、きっと一度は耳にしたことがある<永遠の今>と言う言葉。

永遠の今…それは不老不死にも近いような響きがある。

道を行くものが憧れる言葉ではないだろうか?

どれ程の精神的な高みに上れば、そこにたどり着けるのか?

どれ程の時間か必要なのか?

見果てぬ一瞬、そして夢幻。

彼方の青い鳥を求めるような気持ちだろうか?

<永遠の今>は遠い次元の彼方にあるわけでもなさそうだ。

ジョギングをする、その時の吐く息と吸う息の一瞬、

坂道を駆け上がる、その時の一蹴り。

テレビを見てだらだらと過ごす時間の一瞬。

気がつけば、いつも今、だ。

昨日や明後日に生きていたことはない。

気づけばいつも、今。

それが<永遠の今>なのかもしれない、と思うようになりつつある。

本当はいつも同じなのかもしれない

歩いてる私、あの角を曲がって次の通りを右に・・・

私はいつも同じところにいて、世界がの方が通りすぎていくだけなのかもしれない。

変わっていくのは世界の方で私はいつも同じなのかもしれない

今を体験している、だけ。

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」