若い頃、まだ自分の未来も定かではなく、でも夢だけは目一杯持っていた頃
私にとっての愛とは・・恋愛でした。
やがて、母になった時
愛の最高のものは<母性愛>なのだろう、と思うようになりました。
けれど、我が母親を顧みて、それは紙一重なのだろう、と母性愛の危うさを理解しました。
やがて、私はスピリチュアルな世界へ足を踏み入れるようになり、愛は恋愛よりも母性愛よりも、遠くなりました。
愛はハッキリとは理解できない
でも、それはより大きな視点から物事を見るもの、全体を包括してゆくものなのだろうと推察していきます。
愛は<自由>とセットのもの
それから愛と情は別物である事を理解して、愛と支配も別物、依存心は愛とは違う。
体験を通し理解していきます。
それは時に痛みを伴いました。
<愛は感情>ではない、と仮説を立てて行く
至極冷静な何か・・だ。
愛は超理性を必要とする、洞察力も真理を見抜く目も必要です。
それは私たちの日常、情と言う立ち位置から見ると、冷酷で無慈悲と言えそうな面もあるらしい。
<無条件の愛>・・・愛の最高峰に佇むもの
それが究極なのだろうけれど、たどり着けるのか?人の身にはひどく重くないか?
何時かたどり着きたいと思いながら、歩く道
天空に輝く星に手を伸ばし、手が届かない事にじれったく思いながら、また歩く。
それが今の私の愛の階段の立ち位置かもしれない。
愛の階段は螺旋を描き、高みへと私を、
そして人類を導くのだろう
全人類の憧れ、なのに、まだまだたどり着けない無条件の愛。
全人類の目の前にぶら下げられた人参だろうか?
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