アニメ始めは<ヴァイオレット・エバーガーデン>

このアニメ、良いよ。

と紹介されて見てみました。

美しい映像・・見ているとイライラしてくる。

それだけ、大人になったと言う事でしょうかねえ?

こんな切ない感情に共鳴するには、かなりの時間を過去に遡らないと無理。

 

今の私から→ヴァイオレットに言いたい事が一つ

「成長しろ、ヴァイオレット!」

そんな男探して、彷徨うよりも、泣きつくよりもよっぽど自由に生きられるよ。

どうせ女として生きるなら、もののけ姫のエボシ御前の様に、ふてぶてしく賢く生きなくちゃ。

 

この映画の監督は何考えてたんだろう?

ヴァイオレットエバーガーデン2や3、を作るつもりだったなら

良い仕上がりだろう。

でも、ここで完成と思っているなら、凄く嫌なものを美しく仕上げたものだ。

愛をテーマにしたと言う評判の割に描いているのは愛じゃない。

アダルトチルドレンと共依存?

だったら、続編を作らなくっちゃ。

傷ついた子どものヴァイオレットが、いかに成長して大人になるか、を描かなくちゃ。

そして、大人の目線で見た時に少佐の弱さ、狡さ、身勝手さをどう見るのか?

そして、許すの許さないのか・・それで許すんだったら、本当の愛があるのだろうけど

子どもの目線のまま、少佐、少佐言って、愛をありがとうございますと言っても説得力ない。

子どもはみんなそう言うよ。

 

美しいけれど、めっちゃ危険な関係

離れ離れの二人は巡り合って、大団円らしいけれど、ホント絵に描いた餅。

どうしてかと言えば、その満たされた幸せは、ヴァイオレットの立ち位置、視線が子どものままである場合に限りだから。

成長して、それまでの出来事、人間関係などを咀嚼し直した場合

与えられたものよりも、奪われたものの方が大きい。

と言う事に気づくかもしれないから。

少佐は大人の狡さで、離れていたのだろう、そこのところを十分に承知している。

ヴァイオレットの情に流された形で彼女を追うけれど、・・ふっ、そんなのたかが知れてる。

きっとヴァイオレットの成長を恐れるようになるのだろう。

自分の罪が暴かれないようにと・・・

 

どう考えたって、この少佐の責任は大きいし、責任回避には・・うんざりするわ。

軍からの支給品ではなくて、ヴァイオレットを手に入れたんでしょ。

武器として使わなくてはならない、理由はないわけ。

自分の責任で、自分で決めて使ったんでしょ?甘えてんじゃん。

何が良いか、と言う事を知りながら、しなかったんだから、こいつの責任やん。

男の狡さ、ヤダわわわあわ

 

第一、愛がこんなに単純だったら、人類は皆悟りに達してるわ

(愛の解釈が浅いわあああ)

(愛じゃなくて、依存症じゃん)

(大人になり切れないお嬢ちゃんが、保護者を求めてさまよう話ねエ、あるある。)

とか、思っちゃうのよねえ

愛じゃなくて、情を描いてるだけじゃん。

3次元世界でしか通用しないよ。

 

人間は皆傷つくんだから、その後の成長を描かなきゃ

人は皆、ここが起点なんじゃないかな?

みんなヴァイオレットみたいな切ない経験をして、傷ついて成長して笑うのよ。

傷は成長への登竜門よ。

 

傷ついた子どもが親を求めて泣いてます。だけじゃあ、無理無理!

それを乗り越えた人間ほど、退くわあ

成長しろヴァイオレット、そうすれば五年後には男を捨ててる。

「さよなら、少佐」

ってね。

 

もし本当にハッピーエンドがあるとしたら、成長してからでは?

ヴァイオレットが成長して少佐に怒りや憎しみやら恨みやらを一回ぶっつけてそれで、許せたら?ではないかしら。

文句は色々言ったけど

「ヴァイオレットエバーガーデン」この作品もシンクロニシティが呼んだ作品だと思う。

私にも、あんな感じで男性を慕った時があったから。

ヴァイオレットの傷ついた子どもの一途さは、うずめた過去を思い出させる。

だから、イライラする・・たぶん。

 

 

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」