王族の食べ物、奴隷の食べ物、日本人の食べ物

11月に目の手術をしました。

なので、食べ物にも気をつけています。

何しろ術後ずっと、ステロイドと抗生剤の点眼をしていますから、ヤバイと思ってます。

 

心配の中で、アンテナを広げて飛び込んできた情報とは・・

それで食べ物に関するアンテナを広げると、初めて聞く情報が飛び込んできました。

人間には王族が食べるものと、奴隷が食べるものがある。とか(本当か?)

 

王族には絶対に口にしない食べ物がある・・と言う事

知りませんでしたよ。

贅沢なものを食べているのだろうな、とは思っていましたが、見えない階段を感じてしまいます。

歴史的な背景のもと、プライドから食べない王もいれば

遺伝的な事情で口にしないものを持つ王もいるとか、本当か?

 

そして、奴隷の食べるものとは・・露骨

その食べ物とは、

「働けるだけ働いたら、後は病気になって医療に貢献してくださいね。』

と言う食べ物らしい。

あまりにも身近な食物!絶句です。

身近過ぎて言えない😿

きっと歴史を紐解くと、あなたもうっすらと分かってくるはず

 

この括りに当てはまらないのが、日本人の食べるもの

近年まで鎖国していたくらいだから、日本のものはオリジナル。

王族とか奴隷とかの、枠外にあり、日本人に合っている。

要するに、身体を壊さない食べ物。

 

昔から、例えば親の親の頃から食べていたようなものを食べるのが私たちは良いらしい。

そして、夏のものは夏に食べる。

夏のものを冬に食べるのはやっぱりタブー。

 

枠外と言う日本は、海外から見たら、

それは羨ましくもあり・・と言うところだろう

昆布を消化できるのも日本人だけだしね。

私たちは自分の出自をあまりボロクソに見ない方が良いのかもしれない。

では、また。

 

 

 

 

 

 

 

#王の食べるもの、奴隷の食べるもの

#日本人に合った食べ物

#海外から見た日本、案外良いかも

#抗生物質とステロイド

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」