網膜前膜の手術、に加え白内障も

桜の花が散り始めの頃、左目の異常が明らかになりました。

丁度その頃は、母が施設にはいる頃と同期して、私はメンタルがマックスに疲れていました。

何度も言っていると思いますが、認知症の人の部屋に入って行くのは、メンタルを爪でひっかかれるが如くです。

肉親だからでしょうかねえ、お嫁さんはその点、無敵状態らしいですよ。(笑)

来る日も、来る日も、母の記憶や思念や、過去や未来の残像に巻き込まれそうになり、結構キツキツでした。

それでやっと母の方が落ち着いたので(介護施設に入ったので)、では、よこら検眼してみましょうと眼鏡屋さんへ行ったわけです。

どうして目の異常が分かったのか?

この眼鏡屋さんでの検眼が運命の分岐点でした。

左右に乱視があるものの、右目は正常に像をむずびます。

左目は像が・・・はっきりしません。

目の中で黒と白の渦が回転しています。

極端な言い方だと目の中に太極図があって瞳を中心にそれが渦を描いているかのようです。

私はキョトンとしているのですが、眼鏡屋さんのご主人の顔つきが剣呑になっていました。

「これはレンズの問題ではない、すぐに眼科へ行ったほうが良い」

と自ら、眼科の予約を取ってくれました。

この数年の目の症状の経緯

  • 2020年  左目/焦点が合ったり、ぼやけたりしていた。
  • 2022年春 左目/目の中でゆっくりと渦が巻いているかのよう
  • 2022年秋 ザラとした粒子が見えるだけ

4、5年の間にゆっくりと変化していったらしいです。

 

日常生活の様子

見えます。

手元が見えにくくなっているので、メガネは使いますが普段はかけていません。

右目でばかり見ている感はありました。

2022年秋口から、自転車に乗っている時に右目に風は感じるけれど、左目には感じない。

膜が張ってあるようになると言うのこう言う事か、と思いました。

異変?とでも言うものを感じるようになってきたのは2022年の秋です。

それまでは何も・・・

 

眼科での様子

眼鏡屋さんはご近所でも手術が上手いという評判の眼科を紹介してくれました。

例え白内障の手術になっても、上手いから安心だ、と送り出されたのですが・・

こういう時はまな板の上の魚ですよね。

無感覚なまま、行きました。

何が起きようとしているのか知る由もない私でした。

簡単に書かれた地図を頼りに眼科へ行き、暗い診察室で下された診断は

網膜前膜と・・角膜に穴が開いている‥というものでした。

詳しい事は知らなくても、角膜の何たるかは大体わかります。

「手術をしなければ、このまま悪くなるだけ、手術をしてもどのくらい良くなるかは不明」

身も蓋もない診断です。

「ここでは設備が無くて済術は出来ないから、大きな病院への紹介状を書きます」

呆然として眼科を後にしました。

 

来る時と同じ風景を見ているのに、行きと帰りでは意味が全然違います。

「この風景を失うかもしれない」

まるで、世界の外側から世界を見ているかのようでした。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」