恐怖は2種類あるの、知ってるよね?

今回は久々に恐怖に関する話です。

あなたは、恐怖には2の種類がある事を知ってますか?

  1. 命が危ない本当の恐怖
  2. 頭で作り上げてしまう架空の恐怖

 

私たちが感じる恐怖はこの2つのどちらかです。

あなたは日々どちらを多く感じていますか?

 

現代人は平和な社会で暮らしていますから

恐怖と言えばネガティブな思考やイメージ、古い過去の話だったりします。

命の危険を感じる恐怖は滅多に遭遇しません。

 

だけど、人類の歴史で秩序のある社会が当たり前なのは近代になってからの話です。

私たちは長い時間を無秩序な自然の中で暮らしてきました。

森や海岸線で暮らす頃は、恐怖は命を守るための大事な基準の一つでした。

映画の中のヒーローのように恐さを感じなかったら、ヤバかったのです。

私たちは危険な断崖絶壁から平気で一歩を踏み出して、谷底に真っ逆さまになっていたかもしれないし

凶暴な肉食獣の食後のデザートになっていたかもしれません。

 

生き延びるためには的確に恐怖を感じ取り、適切な回避行動に入るの能力が必要でした。

長い長い時間、恐怖と私たちの生き方が拮抗する事も無く、恩恵を受け取ってきました。

それは現実と私たちの内面が一致していた時代とも言えるでしょう。

その後、現実と私たちが感じる恐怖が乖離していく時代が続いていきます。

 

そうなると私たちは恐怖から恩恵を受け取るよりも、ストレスを感じるようになってしまいました。

なぜなら、私たちの脳はリアルとフェイクの違いを識別できないからです。

身体はダメージを受けていないにもかかわらず、イメージの中で私たちは本気で恐怖に捕らわれてしまいます。

これがよろしくないのです。

 

恐怖を手放せと大声で叫ぶ声もありますが

生き物の自然のシステムとして、必要な恐怖もあります。

全てを手放す必要も無いのです。

 

私たちがよくよく精査して、手放して行った方が良い恐怖は架空の恐怖、頭の中で猛威を振るう恐怖です。

これは取り除いていく方が、気持ちはどんどん楽になって行くでしょう。

 

そして捨てた方が良いんだから、今こそ捨てるんだ、とテンパっても

頑張るほどにおののいてしまうかもしれません。

今日のところは私たちが感じる恐怖には2種類ある。

命の危険のある恐怖と頭の中にあるだけの恐怖と言う事をまずは冷静に受け止めましょう。

落ち着いて感じれば、あなたが感じる恐さがどちらに当てはまるのかすぐに分かるはずです。

理解出来れば光明があります。

必要なのは情熱ではなくて、静けさですから。

では、この続きは次回で・・

 

 

 

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」