聖なる場所を探して、石垣島の夜

家族で沖縄に行った私です。

台風で与那国島に行けず、そう竹富島に行ったけれど

その日の宿は与那国島の予定でしたから、当然そこはキャンセル。

今晩泊るところがないじゃん!

という話になるのですが

よくできたもので、前日に宿泊してたヴィラが泊めてくれました。

宿泊代を払ったのかどうか、覚えないけれど、きっと払ったよね。

一戸建てのお家を借りる形のお宿です。

 

沖縄の天ぷらは珍しいものが一杯💖

台風が迫って来ているし、他所に食べに行かずにその夜は宿でご飯にしました。

何を頼んだのか?多分和食で頼んだのでしょう。

天ぷらが出てきました。

本土で食べる定番の天ぷらではなくて沖縄に自生する植物が衣を着ていました。

初めて食べるものばかりで、味はあっさりしていたけれどインパクトがありました。

軽いカルチャーショックですよ。

ワイワイ食べて、ワイワイ騒いで、みんな寝てしまいました。

深夜、私は呼ばれたかのように、目が覚めました。

誘われるように、外へ出たくなったのです。

 

誘われるままに外へ出て行く・・

お家の玄関を開けて、外へ出ます。

雨は降っていませんでしたが、熱帯の夜に強い風が吹き抜けていました。

夢見心地と言えば良いのでしょうか?

無人のプロムナードはシンとしていて、違う世界のようです。

 

その頃は何が起きているのか、知りません。

ただいつもと違う感じに、うっとりとしていました。

今の私なら、情報を受け取っていると言うでしょう。

そう、情報を受け取り切るまで、私は外を歩き、その後家の中に入りました。

 

どんな情報なのかは、知りません。

夜の静寂の中で、過去生と繋がったのかもしれないし、遠い星から何かメッセージが来たのかもしれません。

沖縄にも、私は過去生で暮らしていたようです。

血なまぐさい過去生ですよ。

 

蒸し返しません、今はね。

いつか、あなたと分かち合えたら良いですね。

隣で刀を持っていたりして( ´∀` )

 

・・・・・・・・・・・・

もしあなたが敏感な方で、石垣島に行く用事があるなら

インターコンチネンタル一択をお薦めします。

あの場所は古代の聖地なので、恐くありません。

お薦めです。

 

当時の写真が残っていないので、

2019年に旅した時のものを使っています。

 

#与那国島海底遺跡

#石垣島 インターコンチネンタル

#沖縄 天ぷら

#竹富島

#風葬の島

#サンクチュアリ

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」