旅:ペルー/ 清濁併せ、生きる事を教えてくれる

初めての海外旅行先 /ペルーには揺さぶられるものがありました。

旅とはそもそも癒しと言うよりも、自分の限界を知るチャンスでもあったりするけれど

初めての海外となったペルーの旅は、それまでとは違う理解をたくさん与えてくれました。

 

日本の温さを目の当たりにするかのよう・・

一日で日本の四季を一巡すると言う厳しい自然環境。

人々はエアコンではなく、自身の体温調節機能で対応します。

水は無く、人がいなくなったら砂漠化するという都市

人と人の間にある差別。

い! の一言につきる社会

 

観光バスで立ち寄った停留所、衝撃的なものを見てしまった

荒野の中を一本の道が走り、そこに一つ墨を落としたようにあるバス停

給油施設があり、トイレがあり、ほんのちょっとのスナックが置いてある

都会であれば見落としてしまいそうなスナックが、旅人には潤い。

バスの発車を待っていると、何処からともなく老婆が現れます。

能の舞手のようにしずかに・・

幽玄よりも重い何かを背負ってインディオの老婆は足を引きづりやっと歩いています。

観光客目当ての物乞いなのでしょう。

でも、彼女の存在そのものが温い社会から来た私には衝撃!

老婆が演技で足を引きづっているのかどうかは判断がつかないのですが、日本でなら呑気に日向ぼっこをしている年齢です。

日本国内ならこの歳の人が生きるために物乞いをする姿はついぞ見られません。

街で見かけたインディオ

厳しい自然、地理的な条件、

徒歩で病院に行こうとしても一日でたどり着けないであろうと思える荒野の広さ。

救急車も医者も期待できるはずがない、圧倒的な広さと距離

 

思い知らされるのは生き物としての人間の小ささ、弱さ

決して人間、地球最強の生命体と言う訳でもない、何がホモサピエンスなのさ?

胸にざっくりナイフが突き立てられるかのようです。

ガイドにはインディオにお金を渡さなくても良いとは言われています。

でも、この老婆の出来る事が物乞いで、精いっぱいやっているのならそれでいいのではないか?

お金のレートが違うので、彼らにとっての日々の糧は、私たちにとってはごくわずかで済みます。

街で見かけたインディオ

小銭に握りしめて、発車の準備をしているバスから飛び降りてしまいました。

小走りに走って行って、小銭を渡す。

観光客の私が彼女の人生に出来る事はそれだけです。

 

戻ると現地ガイドの日本人は、じっともの言いたげに私を見ています。

きっと、またアホな日本人が騙されて・・

と思われているのでしょう。

 

それでも良いじゃないか?

上前をはねられて、もしかしたら彼女にはごくわずかしか残らないかもしれない。

でも、少しは残る。

 

彼女は渡した小銭以上の、何かを残してくれた。

日本の中にいたら、それは知る事も出来ない人生の側面だ。

人間も自然のサイクルの中で生きる、小さな生き物だと言う事

野生の動物と同じルールの下で生きている、うまく言葉にならないが

人間も服を着てるけど、野生の良きもと同じ面があると言う事かなあ?

人生は厳しい、でもみんな生きる。

ガンバ!

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」