アセンションを機に愛と恐怖を再定義する

唐突ですが、あなたは愛と恐怖をどんな風に捉えていますか?

例えば愛と言えば、

恋♡愛 親子の愛 無条件の

恐怖と言えば、

お化けや、病気、災害の時の恐さ・・ですか?

人間の数だけの愛と恐怖があるのかもしれません。

アセンション後の世界に生きる私たちは

<愛と恐怖>についての概念の統一をしておきませんか?

なぜなら、これから世界を新しく創ろうと言う時に

基本がバラバラだったら、目指すものがばらついて歪んでしまいます。

だから美しいものの創造のために愛と恐怖の新しい定義を共有しましょう。

では、良いですか?ゆっくり行きましょう。

まずはこれまでの愛について振り返るところから始めましょう。

この地球には花が溢れるように、様々な経験、思考から形成された愛の表現があります。

カメラを近づけるようにして、近づいてみると個人的な色合いの深い愛が見えてきます。

月夜に恋人同士が愛を語っていたり、母が子を慈しんでいたりするでしょう。

カメラをぐっと後ろに引くようにしてロングショットで見つめると、

より広い全体的な様子が浮かび上がり、愛は無条件のものとして抽象度を上げます。

そして宇宙全体が入るように、目いっぱい下がった見た時には

あまねく星々のきらめきの様な

純粋な愛のエッセンスのみが浮かび上がってきます。

個人的な損得も無く、感情によるアップダウンも無い純粋なエネルギーのみが見えます、

命を産み出し、育もうとする拡大エネルギー、それが【愛】です。

幾多の星々が刻々と正確に軌道を描いていくような静けさと調和。

愛は宇宙全体を調和で満たします。

では恐怖とは何か?

恐怖とは近づく程に視野は狭くなり、窮屈に閉じ込められて自由を失っていくもの。

恐ろしい何ものかの気配であったり、呪詛や暴力を意味するかもしれません。

離れてみた時の恐怖は、エネルギーを奪っていく愛とは真逆のエネルギーと言えます。

人格も文脈も無く、ただエネルギーを奪っていく強力なエネルギー。

身近なところだと、台風の目のようなものかもしれません。

どちらも純粋なエネルギーですが、その性質は真逆です。

生命を育もうとするエネルギーと、生命を停止させようとするエネルギー

これはもう無限の宇宙の中心に

ホワイトホールとブラックホールが二つ並んであるようなものです。

新しい世界で

愛の定義づけをするとしたら

愛は命を育むもの

恐怖を定義づけするとしたら

命を脅かし損なうもの

この二つを愛と恐怖の定義として心に留めおきましょう。

この二つの原点に立ち返れば、そしてみんながそれを共有していれば

どんな遠くの人とも円滑なコミュニケーションが可能になり

あらゆる創造がスムーズに進むでしょう。

多様な価値観は尊重するに値しますが

それを成しうる根本のところだけは、同じもの共有しておきたいものです。

そこさえブレなければ万華鏡のように、互いの価値観を認め合う事が可能でしょう。

あっ・・今更だったでしょうか?

もしかしたらあなたは解っていたかもしれませんね。(笑)

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」