海の向こうのトイレ事情

今日は嬉し恥ずかし、トイレの話です。

【ペルー/イギリス/エジプト/ハワイ】

 

私が初めて海の向こうへ渡ったのは2010年、ペルーでした。

国内で調べると、とにかく

<ペルーのトイレは汚い!>

<便座が無い>

<トイレットペーパーが貴重品だから持って行け!>

とかという話ばかりが耳に入ってきました。

ホテルのトイレ/リマ

行ってみると、個人旅行でないかぎりという条件付きですが

トイレは 綺麗 でした。

 

敢えて言わせてもらえば、鹿島神宮のトイレの方が汚いくらいです。

トイレをもう少しきれいにしておけば、

鹿島神宮の鳥居はあの地震の時に倒れなかったのではないか?と思います。

 

便座が貴重品と言うのは本当のようでした。

実際に個人旅行でリュックに便座をひっかけて歩いている人を見かけましたから

 

海の向こうのトイレにはBOSSがいる

どこだったかな?

と言っても、そこら中の国に行っているわけでは無いので

イギリスかエジプト、なのですが

空港内 礼拝用のマークが新鮮

トイレにボスがいました。

いわゆるトイレの掃除を任されている人でしょうけれど

常時トイレにいて、誰がどこの個室を使うのか仕切っています。

 

もう、笑っちゃうくらいに偉そうにしています。

西部劇に出て来る保安官か、悪党か?と言うくらいには威風堂々。

誰も彼女に逆らいません。

言われるがままに列を作り、指示通りに動きます。

あれも一国一城の主と言う事でしょうかねえ?

 

エジプトのトイレ

これも、その土地独特と言うのでしょうか?

トイレを職場とする、これまた趣の違う仕事人がいまして

彼女もトイレの中にいます。

 

洗面台のあたりにそっと、立っていて

手を洗うご婦人に、にっこりティッシュを差し出します。

うっかり、それを受け取ると

違う方の手が出てきてお金を要求されます。

 

イスラム圏だからなのでしょうかねえ?

警備のためなのか、トイレの中に女性を配置しているレストランもありました。

何するわけでもなく、彼女はそこにいるのです。

あれもつまらないでしょう。

砂漠の中のドライブイン、奥にトイレあり

砂漠の中のトイレ

いわゆるドライブインのような所のトイレ

砂漠には、ご存知のように水がありません。

10個、トイレがあったら、5個は水が流れない、

そんなトイレでございました。

 

ハワイのトイレ

記憶にないくらい、国際基準にマッチしたトイレでした。

 

海の向こうは公衆トイレは有料とか、

公衆トイレそのものが無くて、

カフェによってついでに、というところも多いです。

 

最後に一つ、イギリスのトイレ

それもローカル線のトイレは要注意です。

始発から一人、二人とトイレを使うごとに流す水が減って行き

最後は出なくなります。

それでも、なお一人、二人と使っていくので・・・

アイオーナ島/イギリス

口にしたくもない、状態となります( ´∀` )

昭和のトイレの方がまだ綺麗みたいな。

あのあたりの感覚は割とワイルド!

 

以上です。

最近は海の向こうへは出かけておりませんが

どうなっているのでしょうかねえ?

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」