旅:ペルー/ 忘れてしまった逞しさを彷彿とする

ペルーを旅したのは2010年の夏、

初めての海外旅行。

見るもの全てが初めて、バスに乗ってる移動時間だっておもてなしでした。

 

窓から見える風景、家々、樹木

面白くて仕方ありませんでした。

日本の家屋は雨が降り雪が降る事が前提ですから屋根に傾斜があります。

でも、雨が降る前提のないペルーの家は立方体なのです。

これはとっても目を引きました。

おりしも大統領選だったのかな、選挙のポスターが家の外側にこれでもか!

と貼られているのです。

日本の看板並みの量とインパクトですよ。

 

観光バスに揺られていると、いきなりドンっとバスが縦に揺れる

(何?)

と慌てて見まわすと、それは道路の表面にある、ほら日本にもある

眠気覚ましのための凸なのです。

でも、それが日本の数倍の高さ、半端ない縦揺れになるんです( ´∀` )

 

ペルーは一日で日本の四季を経験する国と言われ一日の温度差が日本の一年です。

夜は屋内にいますから、冬は経験しなくて済みますが

日中は紫外線は強いし・・でもカラッとしているから日本の夏よりはマシかな?

ただ、そんな国だからか、レストランに冷房はありません。

天井に大きな羽根の扇風機が取り付けられていて

あとの体温調整は人体のそれで賄います。

だからでしょうかねえ。

人間が逞しさを忘れていません。

日本人はある意味動物園で飼われている動物のように野生を失っているのではないか?

と思える節がありますが

まだまだ、野生の厳しさ人間が失っていない、そう見受けられました。

 

それは人間には必要なのではないか?

当時、私はそう思いました。

じゃあそこで生きられるか?と問われれば難しいと答えるでしょうが( ´∀` )

 

でも今でも、その厳しさは

矛盾や葛藤を抱える人生で、そう言うものを抱えながらも潔く生きる生き方に感じられて

今でも、敬服します。

 

何人か幼子を連れたインディオのお母さんを見かけましたが、

インディオの子ども達は日本の子ども達に比べれば、何も持ってません。

玩具も無い、お菓子も無い、お母さんの傍にいるけれど

お母さんは観光客の相手で忙しい。

 

だけど、インディオの子ども達は日本の子どものように泣かないのです。

駄々もこねません。

奇声を上げて泣くインディオの子どもは見かけませんでした。

 

昔は我が国も、子育て上手の国と言われましたよね。

歴史の右往左往で何かを忘れてしまったのかもしれませんね。

我が国も昔は逞しい国だったはず・・・

 

いつか思い出せると良いですね。

またペルーに行けるかな?

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」