旅:惑星としての地球を知る、ナスカと言う台地

憧れのペルー

最初に訪れた場所はナスカです。

そう!・・あの有名な地上絵を見に行きます。

バスに乗り込んでドンドコドンドコ行くわけです。

途中車窓から見る風景・・荒涼としています。

海岸線が見えても港も漁村も見えません。

どうやって漁をするのか、そもそもしているのか帰国してもなお疑問でした。

 

ナスカにつくとガイドや飛行機のパイロットが

「食事の前に飛べるのはラッキーだ💖

的な事を言っています。

酔い止めを飲むことも奨励されました。

そこま・・?

 

なぜなのかは、遊覧飛行が始まるとすぐに分かりました。

地上絵を見るために右旋回、左旋回けっこうアクロバティック・・うえっぷ!

と、なるわけです。

 

一杯写真を撮りましたが、うまく撮れているものは少なかったのが残念です。

ナスカでは地上絵もさることながら、そこまで行くまでに目にした光景にも価値がありました。

地球を惑星と言う視点で見る、初めての機会となりました。

ナスカでは雨が降りません。

豊かな土壌も流されて惑星の表面がむき出しになっています。

目の当たりにするのは岩盤です。

岩盤の上に土が堆積して豊かな自然が広がるんだ。

見ていると、納得します。

 

かつて、雨が降った時の雨の痕がそのまま残っています。

テラフォーミング、それが行われる前の惑星のようです。

基本的にペルーには水が無い。

それが一番の驚きです。

水は買うもの、街は人がいなくなったら砂漠になるもの。

日本なら水は溢れるもの、廃屋はやがて朽ちて森になるもの。

スペイン支配の名残です。

帰国して、豊かにある緑を見て

(この国を守る。)

と、思ったものでした。

やはり内側にいるだけでは分からないものもありますね。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」