許し③/神と悪魔が同席する最後のイニシエーションなのか?

許せないという執念、許されないと言う針の筵

長く許せない苦しみと言うものを生きて、その後に許されないと言う経験をすると理解が拡大します。

2Dから4Dに変わるような劇的な理解が訪れますね。

片方の側からだけ見つめるのと、両方の側からの視点を持つのでは、全然違います。

 

許しは無条件の愛のフィールドにある

人が人を許す、と言う事の意味、意義、より深く解ります。

許しが成り立つと言う事そのものが奇跡だ。と言う事も分かります。

そもそも二人の人間が許しを行えるだけの精神的な成熟を果たしている。

これがとっても稀な事だと分かります。

そのレベルに至っていないと、どうも人は<許し>を<支配>と勘違いしてしまうようなのです。

 

許しとは殺しの許可証なのか?

私が許してください、と言った時の彼らの愉悦?

生殺与奪権を握ったかのようでしたよ。

許してください、と言うと上下関係が出来るようですね。

だから、その辺が分かってくると敢えて許しを請わない、という選択肢も出て来るのかもしれません。

 

天秤に乗せたつもりが、自分がまな板の上にのっている

許しと言うエネルギーフィールドは通常のそれとは違います。

「許してください」

と乞うて、まな板の上に乗せられたのは許してくださいと言った本人ではなくて言われた方です。

「許してください」

のフレーズが耳に聞こえたら、その瞬間、神と悪魔が同席している。

と思った方が良いでしょう。

あなたの魂が天秤に乗せられたわけですから。

 

許せばアセンション、許さなければいつもの世界へ戻るだけ

あなたが許すと言えば、無条件の愛の執行。

あなたの意識の次元上昇、アセンションです。

あなたが許さない、と言えば・・・

二元性の世界に深く沈みます。

 

最後のイニシィエ―ション、それが許しなのかもしれませんね。

 

 

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」