旅:ペルー、ツアコンのご挨拶を波動的にみると・・

初めての海外旅行がペルーと前回、書きましたが

海外旅行って出かける前にツアコンの方が電話をかけてご挨拶をしてくれるのです。

マチピチュ、憧れの場所

 

で、旅立ちのその日、初めて空港で会う訳です。

気が合うかどうか、有能かどうか?も知らされずにいきなり旅が始まります。

なんか昔々の結婚話みたい( ´∀` )でした。

ペルーのどこかの場所、空が綺麗♡

 

 

でも、初めての海外ですし、かかってくる電話は重要です。

どんな人なのか?しっかり者なのか?女性か男性か?運命の人を待つように期待がつのります。

ドキドキしていると、期待は富士山を越えます。

 

ある夜、電話が鳴りまして・・・運命の人からの連絡です。

ついに!

ツアコンはどんな人?しっかり者なのか?苦労人なのか?面白い人なのか?

 

私の期待の星はいかに?

声の主は若い男性でした。

 

旅の注意点などを説明してくれています。

抑揚のない声で安心して旅を楽しんでください、的なことを言っています。

でも、私は一瞬で理解した!

「こいつ、ハズレ、」

電話だから見えない、と思ったら大間違い。

声はもろに波動だから、共鳴か非共鳴かですぐに分かっちゃう。

視覚情報が無いから、騙されないのかな。

メイドイン・ペルーのプリン

 

私は心細さがつのりました。

そして、このツアコン、本当に5段階評価でいうと3の下の方だった・・と思う。

面白くもないし、親身でもない。

機械的に動くだけ。

ええっ?と思ったのは食事。

老若男女混合の10人ちょっとの団体さんだったのだけれど、彼は必ず若い女の子のテーブル席の同席して食べていた。

 

 

 

 

 

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」