見えなくても、理解できなくても、私たちは繋がっています

世界って思う以上に魔的なところなのではないかしら

私のイメージとしては映画アバターの中に出てくるジャングルをもっとオドロオドロしくした感じ。

美しい色で誘い、匂いで誘い、活き餌を蒔いて誘う。

下手をしたら、神だとか善だとか、正義も建前上はそれだけど、中身の奥の奥は別物、と言うのも本当かもしれないと思ってしまう。

 

捕食者たちは人に成長なんかして欲しくないし、ここから去っていって欲しくも無いのだろう。

一緒にラリっていようよ、美しい夢を見ようよ(その代わりあなたを食べさせて)

この世ってそういう世界かもしれない。

以前はそんなこと耳にしても、何を言う、と思っていたけど先を歩いていた人の言葉の重みを最近感じる。

誘惑が一杯の世界に、力もなく記憶もなく生まれてくる私たち。

 

無力だ。

罠や誘惑だらけの世界。

せめて記憶だけでもあれば良かったのに・・無い。

まるで一本の紐だけを頼りに深く潜水していくダイバーのよう。

へその緒はダイバート海上を繋ぐ命綱?いやいや、あれは切れてしまうからなあ。

魂にあると言うシルバーコードそれ?

 

【繋がっている】その確信を失ったら深く暗い海の底でたった一人だ。

寂寥とした気分にもなるさ

今の我々って、こんな感じなんじゃないの?

 

いつ襲ってくるか分からない深海魚から身を守ろうと全力を尽くすあまり、肝心なことを忘れてる

自分は酸素に溢れた世界からここに来ていると言うこと。

例えロープ一本でも繋がっている事

助けを求めればいずれ答えが返ってくると言う事、救助隊が猛スピードで降下してくると言う事。

 

なんで、私たちはこんな面倒くさいことをしているのか?

最初から海上にいれば、苦も無くのほほんとしていられたのに?

私たちは冒険家?変な嗜好の人たち?

 

私たちがここにいる理由は何だろう?

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」