幼い頃にお気に入りだった時代劇の決め台詞がこれです。
「道で仏に逢ったら、仏を切る。」
子どもだったので、それは冷酷な血も涙も情もない、と思いました。
そして残念な事に、この間違いを正せる大人は誰一人いなかったのです。
今になって分かることは、
【その仏は怪しい。】
人を惑わそうとしている魔物ではないか?と言う事
皆、魔物の誘惑って受けるんですよね。
イエスや仏陀が悪魔の誘惑を受けたのは周知の事です。
低次アストラルのものは人型形象、特に聖なる形象をとりたがる。と話に聞いています。
とは聞いていても・・美しい人型の高次元存在はありだ、と思ってました。
だって、スピ系の本を開けば霊的なガイドたちは普通にいますし。
シャーリー・マクレーンは不思議な体験を本にしています。
奇跡のりんごのあの人もUFO体験を語っていますよね。
異次元間のコンタクトは見えて聞こえて、体験するものだ、と信じ込んでいました。
本に書いてあることは本当に起きる、と信じていたのです。
サンタクロースを信じるようなものです。
ペルーでの神との邂逅も、人型の存在とのコンタクトがあるはず、と思い込んでいました。
本に出て来るような、不思議な経験はなかった、だから私ってモブキャラ?
やっぱり能力無いのね・・・。
変なところで自己評価を下げて、自分を疑ってしまいました。
が、あれは、あれで良かったのです。
あの経験で充分だったのです。
奇跡が起きなかったことが、<聖なる証>
魔が入り込むすきもなかった。と言うだけの話。
私はめっちゃ、守られていた。
その守りに気づかなかったのは、私だけ。
人型形象は危ないと知りながら、コンタクトに憧れていた私。
・・どこかの配線が切れてたのかしら?
点と点を結びつけられませんでした、混戦したまま悩んでいた。
道で仏に逢ったら、仏を切れ。
霊的な成長を必要とする道で、神に逢ったら、魔的なものと疑え。
理に叶った道は静かだ。と言うことでしょう。
寺院に入るわけでもなく、普通に生きながら霊的な道を歩くとき、目標とする、その聖なるものに一番やられちゃうのかもしれませんね。
模倣犯が多いから( ´∀` )
理に則った道を歩く時、その道は静かで奇異は無いのでしょう。
ただ、魔の誘いだけは、美しくある。
魔はあなたの一番願うもの、欲しいもの、崇拝するものを与えると言うのかもしれません。
「あなたに世界をあげるよ、その代り・・」
この世界にはそう言う事が山ほどありますよね。
3週間で、苦も無く簡単に7キロ痩せらる、と言われた時・・どうしましょう( ´∀` )
イラスト/KACO
#イニシエーションと誘惑 #人類の目覚め
#道で仏に会ったら、仏を切る #Re:born
#シャーリーマクレーン
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