【私は自己を神の意思にゆだねます】←宇宙への決意表明

<私は自己を神の意思にゆだねます>

このアファメーションは、私が魂の旅を始めた頃に毎日のように唱えていたものです。

何の保証も確証が無くても

「あなたは神を(この宇宙の創造主を)信じる事が出来ますか?」

耳に入ってくる言葉は、宗教的な勧誘のようですよね(笑)

 

確証が得られなくても、あなたは自身を信じることが出来ますか?

大抵の人間は報酬が得られる事、成功の見込みのある事を実行しようとします。

だから、三か月で痩せられるなどのうたい文句のビジネスが大賑わいです。

安全や成功が保証されているから道を進む、保証されていない日々の活動は回避。

【私は自己を神の意思にゆだねます。】

とは、確証も保証も無い、実体もない宇宙の摂理を信頼します。

と言う宣言です。

 

実は、夏に体調を崩したことが切っ掛けでこのアファメーションを思い出しました。

一人で部屋で寝ていると気鬱になりがちでした。

ただ受け身でDVDを見ている⇒見過ぎて⇒思考のダーク化

この生活は下手をするとただ死ぬまでのグリーンマイル(この映画知ってる?)の時間を潰してしているだけじゃないの?

ほどほどで次元移動したほうが喜ばれるのではないだろうか?・・・

(ほら、ほら、黒くなってるでしょう)

 

健康なら、考えもしないのでしょうが、体調を崩すと精神も気弱になるんですよ。

閉じこもってるだけみたいになってしまうと・・もう滅入る。

偉大なモニュメントを作ったわけでもないし、口座の残高を増やしたわけでもない人生。

「ほら、私頑張ったのよ、こんなにやったの。」

と、誇れるようなトロフィーが見当たらない。

だから自分に自信が持てない。

こんな人生か・・・

 

走馬灯のようにダークな事考えてばかりいると・・

スマホの中の記事が目に飛び込んできました。

それはシングルマザー向けのビジネス講座のコピーです。

社会と繋がっていない不安 

この一文が、・・私に刺さり、脳裏に浮かぶものがあります。

 

【私は自己を神の意思にゆだねます】

 

・・ああ、そう言う事か

なぜ、人生がこうもあやふやで自信も持てず、弱く感じるのか、分かった気がしました。

深遠な問いかけがあったんだ。

 

あなたは何の評価も得られず、達成したものも無く、自分を知る術も無くても

自分自身を信頼する事が出来ますか?

証明も出来ず、実証する事も出来ないあなたの価値、存在意義を肯定する事が出来ますか?

証明するものが無くても自分を信じる、なんて遠大なテーマ。

達成した事、キャリア、何某かの肩書、そんなものでもあれば、それを拠り所に自分を信じる事はたやすいだろう。

それが無くても、自分を信頼できますか?

それは難易度の高いお試しかもしれない。

 

昔々のオリエントの世界で一人の女性が信仰の告白をしました。

「はい、私はあなたが神の子、イエスであることを信じています」

それに次ぐような問いかけなのではないでしょうか

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」