旅:<秋田>新しい風を起こそう

この間、自宅京都大阪秋田⇒自宅

で旅をしてきました。

本来は、こんな大移動するようなキャラではないのですが・・・

旅が、終わってみると

(呼ばれたのかな・・)と思い始めています。

癒しと回復を望む、土地のエネルギー?が呼んだんじゃないかなあ

秋田はね・・ヤバい、全部じゃないだろうけれど。

エネルギーが時代にあってないんじゃない?

特に女性に対するエネルギーが差別的。

弱いものを虐めて喜ぶ、卑しい笑いが、女性、特に弱い立場の女性に向けられている気がします。

都会にはみんなの目が行き届いていますが、深い山の中では、そうはいかないでしょう。

グローバルな価値観よりも、その土地だけの閉鎖的な価値観の方が勝っている、それは充分ありそうです。

空気みたいにぴったりくっついているので、誰も気づかない。

テレビの中で女性の権利とか自立とか尊厳とか見ても、それはお話だから、現実は違うよね。

そう思っても、おかしくないと思います。

ここでなくても地方に行くほど、それはあると思いますよ。

長く一緒に暮らす共同体の人々に対しては礼節と責任を持つでしょうけれど一晩か二晩泊って、去っていく異郷の人にはクールかもしれませんね。

だから、呼ばれたんじゃないのかな・・・

『KACOさん、秋田まで来るなら、ちょっと寄っていてよ。美味しいものご馳走するから新しい風を入れて。』

ってな感じにね。

その宿は秋田県のとある湖からバスで一役時間の狭い谷あいにある温泉宿です。

そこの女将さんは、なかなかなやり手らしいのですが、同性に責任を持つ気は無さそうです。

続く・・

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」