Message: YASUKUNI ー平和ー8

靖国神社のカフェは、実はそんなに美味しくない。

木陰に作られたカフェはとっても気持ちが良いのだけれど

実は・・味はファミレス。

 

頼んだアボカドとマグロの丼はアボカドがミリ単位の薄さだし

マグロの中オチ風のドロドロは添加物一杯のチューブからにゅるっと出て来るあれ。

厨房を覗かなくても確信がある、食べたから。

・・しかないかな、って思うけど、でも

「せめて、美味しいものを下さい。」

それが本音。

 

と言った愚痴の後になんですが、メッセージです。

気になった方はお時間のある時にお読みください。

あなたの役に立つと良いです。

 

Messge11

<平和と保つためにする事>

国を守ったほうが良い

武力の前段階として、霊的な結界を強める。

人民の心が整い、国としての波動が高ければ、戦争を仕掛けてこなくなるだろう。

仕掛けたくもない、欲しくもない国になる。居心地が悪いから。

 

Message12

<平和と保つためにする事>

日本の古いものを再生させる。

縄文のもの、超古代のもの

DNAの解放と再生 

秘密が明かされることになる 

宗像神社

 

 

Message13

<平和と保つためにやってはいけない事>

欲の暴走

他者のものを欲しがらない。

物、物質だけを見ない。<物&気・気配>で一つとして見る

物と空間で完成

物を持つという事は空間・期のエネルギーが少ない、と言う事

気は変幻自在な無限の物、対して物質は有限の物

 

無限から有限が作られる、この逆は無い

物質だけに焦点をあてすぎると無限を見失う。

無限のものは好きなだけ取り出せるが、有限なもの/物質は限られた数しか取り出せない。

いずれ物質が消える時が来る

その時に裸の王様にならないようにしておきたいものだ

 

何かの参考にしていただければ幸いです。

以上

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」