無条件の愛に慈悲はあるのか?

無条件の愛と言うとどんな事をイメージしますか?

ワクワク、フワフワ、バラ色の愛、歓喜に震える愛

母性愛の上を行く愛、恋人への愛の上を行く愛。

優しく愛情にあふれている、全てを愛し受け入れる至上の愛。

のような気がしませんか?

私はずっと疑問でした、

【無条件の愛って何だろう】ってね。

ただ、とても静かで冷静なものだろうと、どこかで想像していました。

なぜ、弱肉強食のシステムは愛の名のもとに成立するのか?

食べられる側に恐怖があるのだから、極悪非道なシステムなんじゃないのか?

なぜ、無条件の愛は、無慈悲さを許すのか?

ウサギを狙う狐にも、子どもがいてその子どもも熊に食べられるかもしれない。

木の枝に卵を産み付ける蛙がいて、(゜゜)~になって川に落っこちると下には口を開けた水棲生物の成体がいる。

稚魚が母親の体のどのあたりを泳いでいたかで、全身に浴びるフェロモンが違って、雄雌が決まる。とか

とにかく自然界はえげつない。

そのえげつなさを全て愛の名のもとに成立させるのが、無条件の愛。

 

優しいとか、情のあるシステムではない。

生きるための全てが許されるシステム、とても合理的なシステムと言えると思います。

そんなの酷いからやめてとか、

可哀想とか、

そう言う情状酌量の余地はない。

 

正確に時を刻む時計の針のように、みんな文句も無く

食べられて、食べて、死んでまた生まれる。

生きるための戦略を全て受け入れる。

それが、無条件の愛と言うもののような気がします。

 

 

写真提供 / Nagisa Inoue

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」