ミスコマンド:無条件の愛を実践せよ!(人間やめますか?)

無条件の愛は神のための愛、条件付きの愛は人のための愛。

それで良いじゃないですか?

だけど、誰かがあなたの耳元で

「次なる進化のために、無条件の愛を実践せよ、出来なかったら進化は出来ない」

とか、アホな事をほざく様なら、まずその人を疑ってください。

(こいつ馬鹿なんじゃないの)・・・と。

 

私に言わせれば、無条件の愛はフィールドとか空間に設定するもので、そこで活動する生き物に課するものではない。

生き物は、せいぜい憎い敵をも愛せ。くらいにしておくのが身のため、のような気がします。

無条件の愛とは例えば、絵を描くための真っ白な紙です。

何の制限もない、模様も無い、色もついてない。

だから、好きな絵が描ける。

何でもオッケーだよ、と言う空間があるから、生き物自由に生き方を決める事が出来る。

隙間の様な生態系の中でも、生きようと戦略を立てられる。

生きては欲しいけど、あれをやってはいけません、これをするのは良くありません。

等と言われていたら、生命の創造は出来ませんよね。

無条件の愛を実践すると言う事は、背景になれ。

と言っているのと同じだと思うのです。

無条件にすべてを受け入れる=真っ白な紙になれ

これはもう、生きる喜びを謳歌する生き物ではなくなると言う事を意味してませんかねえ?

憎い敵を愛する事さえ容易ではないのに、今の私たちの進化レベルで神の領域の愛が実践できるのでしょうか?

進化の時が来て、私たちの存在の在り方そのものが変わったその時こそ、呼吸をするように無条件にすべてを愛すれば良いんじゃないですかねえ。

今は一つの理想として、そっと胸にしまっておいて、何時かは!と意志を強く持つ。

 

 

海中写真提供 / Nagisa Inoue

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」