008【靖国神社】平和②強さとは?

初めて行った靖国神社は、とても安らかな雰囲気のところでした。

武人を祭る社としては意外な気もします。

さらに意外だったのは食事がとれるところが三か所もあって、お土産屋さんもあること。

固いだけじゃないんだなあ、と感心しました。

柔よく強を制すというのでしょうか?

ギャップが良かったです。

 

Message:2———–**

柔和さのない強さは<強さ>ではない

静寂のうちに強さはある

荒々しい事が強さではない、それは鍛錬が伴っていない。

 

静かに姿勢を正し、座して時を過ごす

静けさの中に強さが生きる、真の強者である。

座して、自身の気を静める時、空気、大地の気、四神の気と通ずることが出来る。

 

座したままで、全てを把握することが出来る。

耳は聴き、目は見透し、肌の毛穴で空間を把握する。

 

足元の大地の中の流れが分かる

大地に気の流れ、うごめく龍が分かる。

 

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写真はマグロの中オチとアボカド丼

他にハンバーグやカレーもありました。

海軍カレーと言うのもあって

これば別のカフェテリアでしたが人気なのでしょう。

満席でした。

 

 

 

007【靖国神社】平和①

 

#yasukuni  #靖国神社 #本当の強さとは

#三つのカフェ #海軍カレー #桜

#Re:born

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」