スーパー耐性菌が生まれる前にやっておきたい事

手洗い、除菌はほどほどに!

2022年現在、アライグマのように手を洗っている人しますよね。

あれは良し悪しなのではないでしょうか?

何故なら過剰な手洗い常在菌削っている事になるからです。

どういう事のなのか、一緒に見て行きましょう。

過剰な常在菌への攻撃は、耐性菌の誕生を促します。

腸内フラワーと言う言葉を聞いた事がありますよね。

腸内の善玉菌のコロニーをそう呼びます。

これが整っているからこそ腸の健康が保たれます。

腸内フラワーが乱れると悪玉菌が活性化して、便秘などの諸症状が浮上します。

そしてにも同じように常在菌のお花畑があって、日々私たちと仲良く共存しています。

このお花たちは無害であると共に私たちを悪玉菌から守ってくれています。

意識する事も無いかもしれませんが、彼らのバリア効果のおかげは大きいです。

私たちは彼らのお陰で悪玉菌から安全に守られています。

私たちがやっつけようとしている敵は、実は味方

ここまで言えばお判りですよね。

毎日せっせと取り除こうとしているものは、私たちの味方なのです。

怪獣退治してくれるウルトラマンを、それと知らずに地球防衛軍がミサイル攻撃しているようなものです。

アライグマの様に手を洗い続けていると悪玉菌の活性化、耐性菌の誕生を促す事になりかねません。

良かれと信じて始めた事でも、自分で自分の首を絞めているのと同じです

すでに、それをやってしまった前例は<あるある>です。

だから、また起こるんじゃないか?って超心配。

なぜ、ゴキブリはどんどん強くなり、抗生物質は効かなくなったのでしょう

きゃあ、ゴキブリ、プシュ~~!

を繰り返したからです。

たとえゴキブリを100匹殺しても、殺虫剤に強いゴキブリが数匹生き残れば、

その後生まれるゴキブリはみんな殺虫剤に強い素質を持っています。

それが一匹見つけたら、卵は40個の勢いで増えたら・・
きゃ~~~ゾッとしますよ。

 

それを踏まえて、今を見ると

同じことが起きる下地が作られている気がします

可能性特大ではないでしょうか?

無害な常在を菌を駆逐していけば、残るのは耐性菌です。

自分に良かれと思いながら、耐性菌を育てているのと同じかもしれないのです。

今私たちは未知のウイルスへの恐怖をとられて、摂理に気づけなくなっていませんか?

やればやるほど、自分の危険を増している。

その可能性に早く気づくことは大切だと思います。

 

もし、耐性菌が現れたら、私たちに成す術はあるのでしょうか?

今のところ、対抗策は見あたりません。

ウイルスは私たちとの共存を目指すのでいずれ無害化されて行きますが

菌類は私たちとの共存の必要がありません。

だから、神経症的な手洗い除菌はほどほどにしましょう。
今のうちに育菌ましょう。育毛と同じように育菌は大事です。

自分自身のために常在菌の多様性を保ちましょう。

ポイントはいつもとは違う常在菌を獲得して自身のお花畑の花の種類を増やす。

手の常在菌を豊かにするために出来る事はたくさんあります。

  1. 屋外へ行く。
  2. 人と会う、
  3. 発酵食品を手作りする。
  4. 素手で土いじりをする。
  5. 動物に触れてみる
  6. その他

私が知らない方法もあるでしょうから、ご自身でも探して見る事をお薦めします。

ただ、これも極端には走らないで!

普通に出来る範囲で、日常の中で無理なくそれがベストです。

まとめ

過剰な手洗い、除菌は無害で安全な常在菌を駆逐し、耐性菌の誕生を促す可能性があります。

ほどほどにしましょう。

弱い菌類を潰して行ったら、残るのは強い菌だけです。

除菌に必死になるよりも良い事はあります。

沢山の菌類とお互いに平和に暮らして行く事を目指す事です。

だから育菌しましょう。

外へ行きましょう、人と会いましょう。土いじりをしましょう。

そしてこの話はto be continueで締めます。

次の記事のテーマは耐性菌へのプロテクション

「PROTECTION/スーパー耐性菌」こうご期待!

 

 

 

 

 

#過剰な手洗いは、かえって危険 #耐性菌

#どうしてゴキブリは死なないのか #農薬の歴史

#善玉菌 #悪玉菌

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」