004<麻賀多神社>建て替えの時が来た

2022年春、都心から京急線に乗って、公津の杜下車。

麻賀多神社を参拝しました。

 

参拝の折にメッセージを受け取ったようなので、ここに残しておきます。

メッセージに気がついたのは、帰路のタクシーの中での事。

頭の中にモヤモヤがありました。

そのモヤモヤを言葉にしたものが、この後にあるメッセージです。

なるべく受け取ったままに書いていますが

私の使う思考や概念を使って言葉に直しているので、完全なものではありません。

参考程度にお読みいただける幸いです。

 

あなたのお役に立てることを祈っております。

では・・・

Message-1

建て替えの時が来た

皆 黙って、●●

死んだ気になって生きろ。死者が蘇って生きる時だ。

 

死は大きな変化を意味する。

今まで培ってきたものは、一度捨てなくてはならない。

捨てて初めて生き返る

 

戦いの意志、戦いの倫理を捨てなくては

ミロクの世にならない

 

戦いの意志を持ったまま

ミロクの世には行けない。

 

戦わなくて良い、戦うくらいなら

黙って●●

 

ミロクの世には誰でも行けるわけでは無い

研ぎ澄ませ、汚濁を捨てろ

赤子になれ

 

賢さはいらない。

宇宙、もしくは大もとに純粋につながれ

それしか生き残る術はない

 

金を稼ぐ事を考えるよりも

どうしたら赤子のようになれるかに苦心しろ

 

いずれ 皆 赤子になる

大切なのは大もとと自分のつながりだけ

他人や物とのつながりなどどうでも良い

 

それは幻に過ぎないから、惑わされるな

 

生きたければ●●

全部捨てなくては、ミロクの世にはつながれない

 

影が濃くなるが慌てるな

影が濃いと言う事は、光も同じようになっている

隠されているだけで、光も同量にある

 

脅しには屈するな

屈するふりだけすれば良い

戦う必要は無い

 

いずれ影は光に吸収され、収束していく

それが影の宿命だから

 

 

**************

メッセージは以上です。

 

最初にここを最初に訪れたのは4年前

初夏でしたが、何時雨が降り出してもおかしくない空模様でした。

ひっそりとした神社は私以外に人影は無し・・です。

 

鳥居をくぐり、階段を上がって境内に入りました。

明記された参拝順序に従って歩くのですが夢の中を歩いているようでした。

 

境内の一番奥に小さな祠があって

「ここだ!」

・・・と分かりました。

 

人生で初めて畏れると言う気持ちを経験した数分間でした。

 

あれは人生でそう何度も経験できないであろう

霊的な経験だったと思います。

 

それから、また時が流れ

2022年4月、改めて参拝させていただいたわけです。

季節も良かったせいか人もいて長閑なものでした。

 

参考記事

2023/1/13 麻賀多神社に招かれる

2023/1/13 麻賀多神社/戦争を回避するために思い出す事がある

2023/1/14 麻賀多神社/戦争を回避するために思い出す事がある②

2023/1/15 麻賀多神社/戦争を回避するために思い出す事がある③

2023/1/16 麻賀多神社/戦争を回避するために思い出す事がある④

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」