恐怖に怯える時、救ってくれるのは理に適った情報

世の中にはいろんな恐さがありますよ。

嵐が恐い、鳥が恐い、誰それが恐い、飛行機が・・・

でも、一番恐ろしいのは孤立無援のまま、恐怖に怯えている時ではないでしょうか?

恐怖に圧倒されてしまって、戦う事も守ることも出来そうもない。

 

そして、そんなピンチを救ってくれる鍵は情報です。

理に適った情報、あるいは平和な気持ちを思い出させてくれる情報です。

受け取った時にやっと胸をなでおろすことが出来る。・・そうですよね。

つい最近、私の友人がまさにその通りの経験をしました。

彼女の体験談は<恐怖から回復する王道>なので、あなたが知っておくと役に立つかもしれません

もし、お時間に余裕がありましたら、お付き合い下さい。

では行きますよ、良いですか?

 

恐怖と言う闇に取り込まれた時、救ってくれるのは情報と言う光

友人A子の話は、こうです。

ある日彼女は、眼鏡屋さんで検眼をしてもらいました。

そうしたところ、左目の異変が見つかったのです。

なぜか、文字が見えたり見えなかったりしたそうです。

彼女はそのまま眼鏡屋さんから、眼科に直行しました。

 

恐怖に捕まると、意識は一気に狭くなり、恐怖が拡大していきます。

暗い診察室で診察が始まり、左目に光が当てられると、カーテン越しに光を見るようでした。

本人が異変をはっきり認知した瞬間です。

医者は冷静に診断結果を言葉にします。

【角膜に穴が開いている】

手術が必要だけれども、果たして視力が戻るかは不明。

個人病院では手術できないそうで、大きな病院の紹介状を渡されました。

 

これで、A子の平和な日常は崩れ去りました。

眼科の帰り道、自分は世界の外側に放り出された。と思ったそうです。

彼女の心の中は不安と恐怖で占められていきます。

(当たり前だった事が出来なくなるかもしれない)

 

大事な事だからこそ家族には敢えて、言えない事もあります。

心配をかけたくないのか、弱点をさらけ出せないのか、A子は家族には話せませんでした。

その代わり、A子は友人に電話しました。

「それは大変だ、楽しみの大半が無くなっちゃう。」

私は大丈夫かな?今までどんな自覚症状があった?眼医者に行こうかな?」

と、軽くはしゃいだ声で言われたそうです。(それが友達か?)

言葉に出来れば、解放されるものもあるのだけれど敢えて言葉に出来ない時もありますよね。

彼女の頭の中をぐるぐるしていたのは・・

(服も、化粧も、散歩もいろんなものが意味を失うかもしれない。)

(仕事は?友人とは会える?出来る事はどれだけあるの?)

(子どもたちはどうなるの?)

 

堂々巡りの思考こそが恐怖の温床です。

答えの出ない不安がグルグル、エンドレスモードだったそうです。

不安、恐さ、不安、恐さ・・それしかない。

 

でも、A子がさすがだったのは、ネットで検索した事です。

(普段、苦手でろくに検索なんかしないのに、頑張った!)

  • どんな事なのか?
  • 何が起きtているのか?
  • どのくらいの危険があるのか?

彼女の恐れる事への解答が次々に出てきます。

そして、体験者のブログを見つけました。

(自分だけではない、先に経験している人もいる)

一気に読むと入院から手術をして、退院するまでの事が克明に描かれていました。

それを読む事で、何も解決はしていないけれど、明確な理解を得たのです。

そうしたら・・A子の意識は変わりました。

面白い!と思ったそうです。

 

理に適った情報を得る、とネガティブはポジティブに変化します

面白い!と思えた彼女には具体的な対策が、次々に浮かんできました。

A子の心の中に光(情報)が届いたのです。

恐怖はその瞬間に霧散しました。

 

そして大きな病院での診察の日、

彼女はラッキーカラーのグリーンのワンピで出かけたそうです。

再度の検眼と診察、診断はこうでした。

「角膜に穴は開いていません。」

「ただ、網膜の膜がぐしゃっとなっているので、それを剥がして整えて、白内障の手術をします。」

「視力は下がりませんよ。」

 

A子は奇跡!と思ったそうです。

彼女がブログの記事を読んだのがターニングポイントでしたね。

そこでネガティブからポジティブへと意識が変わりました。

あのまま恐れているだけだったら、どんどん気持ちが暗くなっていったでしょう。

 

感情は波動の共鳴ですから、一瞬で変わります。

恐怖は私たちが共鳴している間、いつまでも影響を与え続けますが

非共鳴になれば、その途端に力を失います。

恐怖を退けるのに、最も有効なものは理に適った情報なのです。

情報は光ですから、光にさらされた恐怖は解体されてしまいます。

光が届かない状態が一番恐怖を元気づけます。

 

まとめてみると・・

恐怖に震えあがっている時こそ、高い振動数の音・情報に触れる事です。

愛を思い出させてくれる情報、平和な気持ちを届けてくれるる情報、ニュートラルな状態の情報etc.

A子の場合の情報はネットの検索でしたが、

  • 誰かと話す
  • 本を読む
  • 公園へ行く
  • その他、あなたに合ったもの

あなたの気持ちが一瞬で引き上げてくれるものに、なるべく早くアクセスする事です。

 

そうでないとあなたが恐がっている限り、恐怖は力を奮います。

あなたを脅し、あなたのエネルギーを奪ってしまいます。

だから、そういう時こそ

<理に適った情報>へのアクセスを始めてみてください。

必ず、あなたを恐ろしいフィールドから助け出してくれるはずです。

情報(光)は恐怖(闇)を祓う、強力なアイテムですから。

 

 

 

 

 

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#恐怖を投影するもの

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」