私的考察2:<卒業のセレモニー>としてのアセンション

夜空を見上げて、あまねく星々を見ていると・・・あら?最近は星は見えませんねぇ。

見えたと仮定して、全ての星に生命がいるわけでもなく、まして知的生命体に進化しているわけでしょう。

そうなるとアセンションと、その惑星で暮らす知的生命体には特別な関係がありそうな気がしてきます。

全ての星がアセンションするわけは無さそうです。

どうでしょう?気になりませんか?一緒に考証して行きませんか?

「あっ!」と思う事があるかもしれませんよ。

 

アセンションは宇宙にある生命育成プログラムの一環

例えばの話ですが

宇宙に生命体育成のプログラムがあると想像してみましょう。

そのプログラムには当然いくつかの段階があるはずです。

  1. 惑星の形成
  2. 生命の誕生
  3. 知的生命体の活動開始
  4. 知的生命体が波動の概念を理解する
  5. 《惑星のアセンション》が始まる

こう推測すると、現代でアセンションが起きた理由が分かります。

アセンションには宇宙的なタイミングは、もちろんあるのでしょうが

私たちが物質を越えた<波動>と言う概念を理解したからこそ、起きました。

 

波動の概念を理解できるか?が一つの関門だった

物質を越えた波動の世界とは、意外と身近にあります。

スマホやパソコン、クラウドシステムに支えられたネットワークもそれです。

webと言う言葉も波ですしね。

これから私たちはVRの世界で生きていく事も有り得るかもしれません。

皆気づいていないけど、

私たちは秦の始皇帝よりもエリザベス女王よりも、多くの選択肢を持って暮らしています。

だって、どんなに多く物を支配しようとも

彼らに支配できるのは、そこにある<物>だけなのですから。

 

私たちが日々の日常で行う、選択、決定は

20世紀の以前には無かったものがほとんどではないですか?

リアルで生活しながら、オンラインでショッピング、オンラインで人と会う。

私たちは有史以来、初めてリアルな世界とバーチャルな世界を持ちます。

明日からVRの世界で生きる事が日常になってもおかしくないですから。

そして、地球は人類がこの段階に至るのをずっと待っていたように思えるのです。

だって、アセンションは人類が火を獲得したタイミングで起きても、月へ行ったタイミングで起きても良かったのに、起きなかった。

 

条件を満たしたエリート惑星だけがアセンションする仕組み

宇宙の星々の全ての惑星が生命を育てられるわけではありません。

この段階で一回目の取捨選択があり

生命が誕生したとしても、知的生命体の誕生に至らない惑星もあるでしょう。

また一つの取捨選択がある。

知的生命体が誕生し、順調に発達していく惑星はとても希少なのではないでしょうか?

アセンションに至る惑星は稀なる星だと思います。

地球はエリート中のエリートかもしれませんね(笑)

 

地球は人類の成長を待って、アセンションした可能性大

私たちは惑星全体を覆うようなネットワークシステムを形成するまでに至りました。

この時点で、肉体を持って進化する段階をコンプリート、はい次!と言う事だったのでしょう。

地球は惑星生命育成プログラムでの一つの段階を達成しました。

長い時間をかけて地球は生命体を育みながら、アセンションのタイミングを計っていたのかもしれません。

これからも地球は次の発達段階のクリアを目指し成長進化していくでしょう。

そして、この星で人類が生きて行くと言う事は精妙な波動の状態で生きる事に同意すると言う事になります。

 

物質世界は学びつくしたから

「ハイ、次」ですね( ´∀` )

 

まとめ

宇宙には生命を育てるプログラムがあると仮定しました。

そうすると、惑星は少なくとも4っつの段階をクリアする事でアセンションに至ります。

  1. 惑星の形成
  2. 生命の誕生。
  3. 知的生命体の誕生
  4. 知的生命体が波動を理解する

 

四つの段階をクリアすると、一つのプログラムが完了し、次へ進むことが出来ます。

そして、それがアセンションと呼ばれるものになります。

 

これは物質レベルでの学びをすべてクリアし、次の段階に進めるものにのみ許されるものであり

物質の世界を卒業するセレモニーに等しいものです。

『卒業おめでとう、地球&人類』

これからは新しい世界が待っています。

生まれ変わったかのように生きて行けます。

恐怖を水に流し愛と平和のもとに暮らす、それがよりリアルなものになって行くでしょう。

 

 

 KACO/野の光景

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」