人生の中で死が熟成され、死が満ちて生に転ずる

ギルガメッシュの頃から、人は不老不死を追い求めてたそうです。

最近ではメタバースとか、データとなって永遠の命を手に入れると言う話もあるらしいですが、仏教は死について面白い事を言っています。

 

胎児が十月十日、母体の中で成長し生れ出て来るように

死もこれから死んでいく人の体内で一年の間、成長してその時を迎えるそうです。

 

今日、もしこの世界を離れる人がいるとしたら、一年前から死が体内に宿っていたそうなのです。

死んでいく時が、死の誕生日。

なんだか、認識の枠が揺さぶられるような話ですね。

 

でも、一年前から死が宿る、と言うことなら、死に至るために一年間の猶予期間が与えられていると言うことでしょうか?

胎児を中絶するように、死への成長を阻めれば回避も可能、と言うことでしょうか?

 

人には生死を決める最後の分岐点が用意されている気がします。

分岐点を越えて、変更は無理、となってから一年目に成就する。

そう言えなくもない気がします。

 

赤ん坊は生後何日何年と数えて誕生日を祝う。

死は死んだ時が0歳その年に一歳になって、そこから三回忌、七回忌と法事を営んでいくもの。

もしかしたら死んで三年目、おめでとうって感じでしょうか?

 

残された身としては、なかなかそうも思いにくいですが、

旅立たれた方の中で、死が成長し、あるいは熟成されて行き、次の人生にいつか転ずる

見方を変えれば、死は違う捉え方が出来る者なのかもしれませんね。

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」