恐怖を手放すタイミング?それは今

今が旬な事、それは恐怖を手放すという作業に取り組む事ではないでしょうか。

今なら地球も恐怖の領域を離れ、愛の領域に落ち着いていますから、ローリスク・ハイリターンを狙えます。

あなたは追い風を受けるように、あるいはBIG WAVEに乗るように楽々と恐怖を手放せるでしょう。

とは言っても、字面だけであまり身近に感じませんよね? ですよね~~。

だから、もう少し詳しく見て行きましょう。良いですか?

その理由は、2021年3月21日に地球がアセンションしているからです

アセンションを切っ掛けに、地球はより強く愛を発信する惑星になりました。

以前よりもずっと恐怖を手放しやすくなっています。

これまでの地球は愛よりも恐怖がメインの惑星でした。
:恐怖=49:51くらいかな。

これが、2021年の3月21日をもって、
愛:恐怖=51:49に逆転したのです。

この先、愛と恐怖の差はどんどん大きくなっていくはずです。

視線を変えて、私たちの心の中を見てたら、何が見えるかな?

私たちはどうでしょう?心を占めるのは愛ですか?恐怖ですか?

四六時中、恐い想像がもやもやと心の中で蠢いていませんか?

私たちは未だ愛49:恐怖51のままではないですか?

私たちは旬から、少しズレてしまっているのです。

地球にとっては恐怖は過去の事なのに、私たちにとっては今ここに在るもの。

これ以上に時流に乗り遅れないように、私たちも恐怖を手放していったほうが良いです。

生命体は準ずる世界に合って存在する方が、何かと幸せです。

だから、地球の波動に地震の波動を近づけて行きましょう。

恐怖を手放して、愛に生きましょう、そして、もちろんやるなら今ですよ。

愛の惑星で恐怖に共鳴する生命体は生きていけるのか?

一言で言うと困難でしょう。

愛と恐怖は『右へ進め』、と『左へ進め』くらいに真逆です。

地球(大地)が右へ行こうとしているのなら、人類もそれに倣って右に行った方が理に叶ってます。

暮らしている惑星(地球)の波動と共鳴がズレたままで繫栄する生命体はいませんから。

生命体は惑星との共鳴があって初めて生命活動が許されます。

京都へ行く新幹線に乗ったなら、大人しく京都へ行くべきで、「盛岡へ行け!」と騒ぐのはヤバい人です。

だから、人類も地球に倣って恐怖を手放してに生きると腹をくくるのが豊かな人生を送るコツです。

変化を起こすなら今がベスト、共鳴が残っているうちが華

地球が愛の惑星にチェンジしたと言っても、まだまだ恐怖49なので、私たちは地球との共鳴が可能です。

では、地球が愛60:恐怖40になった時、さらに愛70:恐怖30になった時さらに・・

今のままの私たちはいつまで共鳴出来るのでしょう?

(大学受験の偏差値がどんどん上がっていくのに、似てませんか?)

これ以上言葉にしなくても、聡いあなたは解りますよね。

だから、違いがわずかな今のうちに、恐怖を手放し愛を生きる事にコミットメントしていく事がgood、でしょう。

今が恐怖を手放すベストタイミングです。

まとめ:スタートラインが一緒なら、やったもの勝ちだよね

2021年のアセンションにより、地球は愛に共鳴する星になりました。

生命体は、惑星との共鳴無しには生存は不可能なものです。

なので地球が愛に共鳴するのであれば、そこに生きる私たちも恐怖を手放し愛に生きる事を選択していく事がベストでしょう。

しかも今ならまた共鳴がズレてるくらいな違和感だけなので、巻き返しが可能です。

もっとズレが大きくなってしまうと、出来る事は極端に少なくなっていくでしょう。

だから今、恐怖を手放して愛を生きる一歩を踏み出しましょう。

<補足>

恐怖を手放すには今がベストではありますが、結局は心の問題です。

こうでなくてはならないとか、これだけのことしなければならない。と言う枠はありません。

心の取り組みですから1が1000になる事も、1が1.7くらいの事もあるでしょう。

やってみないと結果は出ませんし、やらなければゼロです。

あなたのベストタイミングを計りながら、取り組んでみてください。

#アセンション #2021年3月21日

#愛の惑星 #恐怖を手放して愛を生きる

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」