自然界の弱肉強食、人間界の【弱いものは食い物】理論

この惑星の本当の根本的な問題ってなんだろう?

そんな疑問を持ったことはないですか?

あなたはなんだと思う?

 

私は弱肉強食のルールではなかろうか?

と、私は思う。

この仕組みで惑星の生態系が統べられているので、弱いものを喰い物にする事は理にかなっているとなってしまう。

そうですよね?

必然であり、善悪論は口を挟む余地がなくなります。

自然界では全てが命で賄われますから、食べられることは全体を支える事になります。

単純なエネルギーがより大きなエネルギーの一部となると事を意味しますので、ある意味、拡大とか良いもののような感じもする。

 

でも、それを私達人類に当てはめて良いのでしょうか?

自然界と私たちの社会は同じですか?

 

自然界の弱肉強食には全体のバランス機能があります。

私たちの社会の、【弱いものは喰い物】にはバランスがありますか?

それは摂理にかなっているのでしょうか?

 

自然界は全体で一つの営み。

食べることと食べられる事は連鎖です。

だって自然界にはコンビニはないですし、プラスティック容器も無いですから。

皆、黙って食べられて、食べて生を全うします。

だから?それを見習って、私達も弱いものは食い物の理論武装で生きて良いのでしょうか?

自然界には無くて、私たちだけが持っている物があります。

それは名前です。

 

自然界に太郎と言う名前を持つ烏賊はいません。

山田さんと言う一族の虎もいません。

 

名前を持つと言う事は、自分を認識すると言う事で自我が生まれます。

一度、名前を持ってしまったら、弱肉強食の循環の中には戻れないのではないでしょうか?

烏賊の群れの中で、一個体が喰われたとしても全体からしたら一部分の損失です。

 

群れ全体としては変わらず生きています。

ある個体の穴埋めはすぐでしょう。

そこに自我は関わらないから。

 

でも、名前を持ち、自己を認識する人間はそうはいかない、ですよね?

一人がいなくなる事は、大きな穴になります。

二度と取り戻せないから。

烏賊には代わりがいくらでもいるけれど、<人>一人の代わりはいない。

だからね、名前を持った私たちは【弱いものは食い物とは違う論理がルールが必要だと思う。

 

何年か前のオリンピック柔道の決勝戦で

片足を負傷した日本人選手の、その負傷したところを一切狙わずに勝負をした外国人選手がいたよね。

 

彼は惜しくも銀メダルだったけれども、金メダルよりもさらに誉な栄誉を得た。

それをお手本に出来ないかな?

 

新しい拠り所を見つけられないかなあ。

(他にも選択肢は沢山あると思う、お手本もあると思うんだ。)

見つけたいね。

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」