命の卵が歌う、歓喜の歌

ちょっと想像してみて

三次元よりもはるかな高み、とても肉体を持つ身では辿り着けないような高次元。

 

光に満たされ理由もなく、義務もなく、ただ、在ると言う世界

その彼方の空間に、卵が一つポツンと浮かんでいる。

その卵は宇宙の生命、そのもの。

全ての生き物が、その卵に源を発する。

 

その卵はゆっくりと回転しながら、浮かんでいる。

そして、満月の金粉のようにキラキラとした光がふんわりと振りまかれていく。

 

卵は唄う。

命の喜びの歌を。

分け与えられた光も歌を歌いながら次元降下していく。

ゆっくりと生き物の世界に向かって降りていく。

沢山の小さな光の粒子が口々に唄う。

音は音階になり、旋律になり、大合唱になる。

<歓喜の歌>第九で歌われるアレ

 

生命として誕生することが嬉しくて仕方がない。

心臓が鼓動する事、仲間を見つける事、声を出す事

楽しみに・・ゆっくりと次元を降下していく。

命は<光で喜び>なんだ

私もあなたも、かつて喜びとして生まれてきた。

決して戦うことを期待されて誕生したわけじゃない。

 

喜びとして生まれてくる命にとって、この惑星は何をしているのだろう?

歓喜の歌は、この地上でも続いているのだろうか?

嘗て、喜びだった私たちは、今どんな歌を歌っているのだろう?

 

命に祝福を!

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」